めぐみのパンくず

“まことにまことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。”     ヨハネ12:24

○十字架に架にかかられる日が近づいて来た時、ギリシャ人たちがイエスさまにお会いしたいと弟子のピリポに願いました。ピリポはアンデレとイエスさまにそのことを告げに行きました。その時上のみ言葉を語られたのです。

○イエスさまはご自分を一粒の麦にたとえておられます。「地に落ちて死ぬ」と。麦は地にまかれなければ実を結びません。その時、麦は麦本来の形を失ってしまいます。土と水と日光によって形が崩れます。しかし、そこから、新しい命が生まれるのです。イエスさまが一粒の麦となって死んで下さったがゆえに、神さの一人子の姿を壊しされたがゆえに、新しい命が生まれ始めたのです。

○新しい命は多くの実を結びます。これは信仰者へのメッセージでもありました。キリスト教信仰は死ねば「多くの」実を結ぶためのものなのです。

○イエスさまは弟子たちに「わたしについて来たいと思う者は、自分を捨て自分の十字架を負ってついて来なさい」と言われました。十字架は死の道具ですね。「これは自己否定であり、己に死ぬことだ」とある説教者は言いました。人間は罪に死んでいたものでしたが、、イエスさまを信じて神の子とされ新しい命をいただきましたが、イエスさまについていくために最も大切な事は自分に死ぬことなのです。霊的には神さまの子どもとして生かされたものですが、信仰生活においては日々死んで、自分ではないイエスさまが私のうちに生きておられるガラテヤ2:20とお任せして行く信仰なのです。結果、御霊の実を結び、福音の子どもたちが与えられていくと言う実を結ぶのです。死んだら実を結ぶ~忘れないようにしたいと思います。

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