めぐみのパンくず

“そこでイエスは彼らに言われた。「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがの時はいつでも来ているのです。”       ヨハネ7:6

◎イエスさまの孤独を思います。大勢の人々はイエスさまが、腹を満たしてくれる都合の良い指導者と考え、多くの弟子たちは、イエスさまがいのちのパンである事、イエスさまの血潮を飲み、身体なるいのちを食さなければ真の信仰はありえないことが理解できず去って行きました。ここでは肉親の兄弟たちが、わけもわからず、イエスさまに向かって仮庵の祭りがおこなわれるユダヤへ行って「自分を世に現せ」というのです。

◎イエスさまは「わたしの時」、人々に救い主としてあらわす時はまだ来ていないと言われました。この時の“時”は特別の時をあらわします。時々刻々流れて行く時ではありません。神さまが特別な事のために特別に働かれる時なのです。人間が思う自分本位の時ではないのです。

◎イスラエルには三大祭がありました。過ぎ越しの祭り、刈入れの祭り、そして仮庵の祭りでした。刈り入れの祭りはやがてペンテコステ、聖霊降臨の日に繋がって行きますし、仮庵の祭りは「取り入れの祭り」とも言われ、再臨、終わりの日の取り入れを象徴しているように思います。

◎この二つの祭り、ペンテコステと再臨の前にイエスさまは過ぎ越しの祭りの屠られる羊になるために、人々の前にご自分を現さなければなりませんでした。いきなり仮庵の祭りの主人公にはなられなかったのです。

◎キリスト者にも、三つの祭りがあります。十字架(過ぎ越し)、ペンテコステ(刈入れの祭り)、主の再臨を待ち望む天国への(仮庵のまつり)です。

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