礼拝説教から 2017年8月27日

2017年8月27日
マルコの福音書4章26-34節
神の国の成長
 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。(マルコの福音書4章26-28節)
 神の国は神様の支配ということを意味しています。神様の支配しておられる所、神様の支配が実現している所、それが神の国だということです。私たちがイエス様を信じて、自分が自分の王であることを止め、イエス様の支配を受け入れて、イエス様に導かれ支えられて生きる時、私たちは神の国の民として生きていることになります。
 イエス様は、その神の国について、人が地に種を蒔くようなものだとたとえられました。それは、種がどのように芽を出して育つのか、人には分からないということです。種が芽を出して実をならせるのは、人の手によるのではないということです。そして、神の国も同じように、私たちの目には見えないとしても、神様ご自身の手によって、着実に成長を続けているのだということです。私たちに求められているのは、この神の国の王であるイエス様の支配が揺るぎないものであることを信じ続けていくことです。信じているはずの私たちも、神の国の支配ということが、しばしば分からなくなるのです。
 私たちは地面の中に埋もれている種を見ることができません。しかし、種が私たちの目に見えないからと言って、それで種がなくなってしまったということを意味しているのではありません。見えなくても、あるのです。私たちの目には見えなくても、種は根を出して、水分や養分を吸い取って、成長をしているのです。そして、時が来れば、芽を出すのです。
 私たちは神の国を目で見ることができません。誰もが納得できるような形で説明することもできません。しかし、信じることはできます。イエス様を王とする神の国の支配が、私たちの生きる現実の世界の中で、脈々と続いていることを、信じることはできるのです。むしろ、信じることこそが、私たちに求められていることだと言えるでしょう。
 人知れず、また人手によらず成長する種のたとえを覚えながら、神の国の民として生き、この世界の現実に向き合っていきたいと思います。