礼拝説教から 2017年8月20日

2017年8月20日
マルコの福音書4章21-25節
あかり
 また言われた。「あかりを持って来るのは、枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。隠れているのは、必ず現れるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。(マルコの福音書4章21-22節)
 イエス様を王とする神の国は、誰にでもはっきりと認められるような形で現されたわけではありませんでした。イエス様が神の子であり救い主であることを認めることのできなかった人々の目には、その「神の国のあかり」は、枡の下や寝台の下に置かれていて、覆い隠されているようなものでした。信仰が与えられて、イエス様を受け入れているはずの私たちも、この世の現実を見る時に、「イエス様の支配はいったいどうなってしまっているんだ」と思わされることがあります。しかし、「神の国のあかり」は、隠されているようではあっても、決して消えることなく、いつも灯されています。そしてやがては、全世界の人々の前に、はっきりと現される時が来ます。聞く耳を持って、みことばを聞いて受け入れ続けていく中で、決して消えることなく灯されている「神の国のあかり」を、いつも見つめていたいと思います。