ローマ 15:1-6
15:1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。
15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。
15:3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。」と書いてあるとおりです。
15:4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。
『心を一つにする教会』
◆心を一つにする神の恵み
同じ思い、心を一つにすることは簡単なことではありません。
一つ目標に向かい取り組んでいてもそれぞれの意見がありますから、そこで出された意見が否定される批判され攻撃の言葉で意見が言えなくなってしまう。そうすると声の大きい人の意見が通り心が一つにはならないことがあります。言わば強い人の意見が通り弱く声の小さな意見はかき消されてしまいます。
教会は強い人の意見も弱い人の意見もことさら重要視するところではなく互いにキリストの言葉と御こころに心をむけ一つとなる所です。
5節後半 互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
互いに同じ思いになるように。と語る聖書の言葉は別の角度から言えばそれぞれが違う思いがあることを表しています。だからこそ、同じ思いになるようにと語るのではないでしょうか。
14章で学んだようにお互いの意見が違ってもさばき合わず否定しない。批判しないなど妨害とつまずきを置かないことの大切さを教えていました。
考えが違い心を一つにするために大変な努力と忍耐を必要とするでしょう。
5節前半 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、
わざわざこの所で忍耐と励ましの神との言葉を挿入するのも、心を一つにすることの難しさ、忍耐と励ましが必要であるからです。
話し合い、意見調整、問題点をどうするか?協力者は?費用は?その他様々な意見の違いを調整しなければならず時に意見の違いから協力しないとなるかもしれません。そんな時に私たちは一致することをあきらめてしまいます。
私たちはこの働きが自分のサークルのような思いでいるなら気に入らないなら止めるのもありでしょう。しかし、この働きが主の救いの事業であることを理解しておくべきです。
趣味の教会、気の合う人たちの集まり、意見が合わないなら止めてしまえばいい。教会はキリストの教会です。主が私たちを召し出しご自身の命の代価で贖われた尊い集りなのです。
◆心を一つにするキリストの模範
心を一つにするには謙遜が必要です。聖書は、キリストが十字架の苦しみと死さえも自分の思いではなく神の御こころを第一にされたことを取り上げています。
3節 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。」と書いてあるとおりです。
私の意見を強固に主張することなく、また意見がくみ取られないと主張することなくキリストの教会にとり益となるために互いの心が聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。そのような教会である信仰の集まりが一つとなるために、5 どうか、忍耐と励ましの神が、いなければ教会は今は存在しなかったでしょう。
◆忍耐と励ましを与える神の言葉
4節 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
人の励ましは助けとなり励ましとなるでしょう。しかし、神ことばから与えられる励ましはその人を神への信仰へと結び付け永遠の命の確信がより深くなります。
私たちは御言葉により導かれ歩みを励まされ主の御こころに一つであることを求める教会の結びつきでありましょう。