神に召された人たち

◆すべての事を益と

(28節) 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

皆さんは神様がすべてのことを働かせて益としてくださる事を知っているでしょうか。そして、この知識が信仰の確信となっているいるならばキリストに強く結びつけてくれるものとなります。この御言葉の信仰に立っていて欲しいと願います。

28節は信仰の道において起きてくる神の御業について語っています。すべての事が私たちをキリストに近づかせる神様の恵みと信頼する確信がここにあります。

◆弱い私たちのために

(26節) 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。

信仰は見た目ではわかりません。肉体的強さで信仰が強いわけでもなく、気が強いから信仰が強いわけでもありません。人は様々な弱さを抱えていますが、自分は強いと自信を持ち神様なんか必要ないと思う人ほど弱いような気がします。

キリストと栄光を受けるための信仰の道は苦難の道です。そんな私たちを御霊は同じようにして助けてくださいます。何と同じでしょうか?それはキリストと同じようにです。具体的にはとりなしの祈りです。34節罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちのためにとりなしてくださっていると書かれています。御霊とキリストが弱い者のためにとりなしてくださる心強い約束がここにあります。

◆とりなしの祈り

(26節)御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

(27節)人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

私たちはとりなしが必用です。何故なら私たちは罪、信仰、様々な弱さをもっているからです。例えば私たちは思いを尽くし、力を尽くし、神様と人を愛せてはいない不義なる者です。神様はわかっておられます。真理に従えない弱さを持つ私たちのために、御子と聖霊にとりなすよう神様は御霊が私たちの心に住まわれるのでその思いを誰よりも知っておられ、うめきをもってとりなされます。それは言葉にならない祈りなのです。言葉にしやすい祈りは楽ですがうめくように祈る祈りほど大変なものはありません。何故か、それは弱さを持つものの為に祈るからです。神の御こころにより御子イエスと聖霊に祈られているている私たちへの愛を向ける神様へ深い信頼を持ち歩めるお互いとなりましょう。

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