選びとる道

マタイ 27:11さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです。」と言われた。

◆ユダヤ人の王 イエス・キリストにとり「ユダヤ人の王」という言葉は人生の鍵となる言葉です。 ユダヤ人は、かつての偉大な王の子孫が神の約束により生まれ、その方が救い主として世に生まれでる。この伝説的な期待で生きる人たちでした。 イエスが誕生の時、東方から天体に示された星により、ユダヤ人の王として生まれられた方をたずねて来た博士たちがいました。また、イエスの十字架の上に掲げられた札にはユダヤ人の王と書かれていました。誕生である生と死にまつわるこの言葉を理解する時、イエス・キリストの人生の一面が理解できます。

◆神の御こころを選ぶ道 イエスにとりユダヤ人の王として生まれることは神の御計画でありましたが、王宮に住む王ではなく神の国とその民を治めその王として人々の前に現れました。しかし、ユダヤ人の王と言う言葉はイエスが訴えられ死の原因となる不吉な言葉でした。 イエスは自分が神の子であると言ったという神への不敬罪で訴えられ、答え次第では死刑に処せられる状況でした。総督はイエスの言葉尻を捉えて言葉で追い込もうとしていました。総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねた。イエスはこの言葉の真意を説明する事が出来ましたが悪意に満ちた状況でそれをしませんでした。しかし、それをしなければ悪意と誤解の中で死が待ち受けていました。イエスは弁明しない事を選択したのです。このイエスの姿は信仰により歩もうとしている人にも見る信仰を選ぶ選択の道です。 天に帰られた方々の中には、信仰を持った時に周りから理解されず誤解されていた方もおられたでしょう。 イエスの人生の見る生き方に人は人生を選び取る道のあり方を考えさせられます。それが不利な選択であり、他にもっと上手く立ち回ればと思う道もあったでしょうと。 上手く立ち回る道が本当に良いことなのでしょうか。上手に説明して死を逃れた方がイエスにとり良かったのでしょうか。

◆天に通じる選ぶ道 私たちの人生も自分で選んだものでは無いと思います。しかし、イエスが選んだように天国への道は選んで歩む道なのです。こう言えます。誕生は選べないが天国への道は選べる。 この世にて賢く生きる道ではなく、なにが天へ通じる道なのか祈り求め歩む人生を全うしましょう。

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