祈ることを教えてください

ルカ 11:1~4

さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」 11:2 そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。 11:3 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。 11:4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。』」  

『祈ることを教えてください』

1節「祈りを教えてください」 口語「わたしたちにも祈ることを教えてください」 信仰をもたれたばかりの方にこのように言われたらどのように答えますか。 この質問者が求めるものは、祈りの言葉でしょうか。それとも他にあるのでしょうか。 祈りは神様に何か願うこと。と答えるなら、祈りを教えてくださいと問われて教えることは何もありません。この答えを見つけたいなら祈りとはなにかを再度自らに問うことから始めなければなりません。 ◆祈りとは 御祈願すること。自分の願いを聞いてもらう為に神様にお願い事をすること。 確かにこれも祈りです。 しかし、私たちが神に願うように、私たちの信じる神も私たちに願うものがありました。それは、この方を神とし、信じる信仰に歩むことです。アブラハムと神は約束を結びました。創世記17:8 わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう」。祈りとはこの方を神として敬い、信じ、私たちと共に歩む神に呼びかけ近づくことです。神が近づかれるように私たちが近づくことを神は求めておられます。イエス様は神様が願われてる近づき方を教えられました、それが主の祈りです。 (2節)イエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。 父とはアバ(幼子が父親を呼ぶときの呼び方です)神は人間とのこの幼子のような関係をもつて呼びかけられ近づいてきて欲しいと願われていると、イエス様は父の願いを伝えておられるのです。 ◆祈りを教えられる 祈りを学ぶ方法は3つあります。ルターは聖書を学ぶ方法を聞かれて3つの原則を答えました。①祈り②黙想③試練 聖書を学ぶ方法は祈りを学ぶ方法に通じます。 祈りをするのには心が祈りの姿勢で無ければなりません。体は仕事をしていても、トイレで便座に座っていてもかまいません。 ジョン・ウエスレーの母、スザンナは16人の子供を産み、牧師夫人の立場で平日の聖書研究祈り会を導き、子供を義務教育の終了する年齢まで自分で教育し大学に行かせました。そんな彼女は祈る暇が無い、時間が無いとは一言も言い訳しませんでした。台所で食事の準備をしながら時に顔をエプロンで隠しながら涙し祈りました。そんな母の姿を見て育つたジョンウエスレーは、祈りの時間が無いなどとは我が母の前には言い訳に過ぎない。と言っています。 黙想は聖書を神の言葉として味読することです。御言葉が糧となるためにはその意味を味わい知ることなく信仰は生まれません。祈りは二度三度と応えられず聞かれないのが祈りである事を知らなければなりません。だからこそ信仰が養われ成長しなけらばならないのです。三番目に試練です。祈りは祈らなければならない状況から生まれます。私たちが祈るよう導かれている時、そこに祈りの課題があります。嘆きの壁が立ちはだかります。どんな苦境の中に置かれても「祈りを教えてください」祈りと信仰が私たちを導き支える力でありますように祈りましょう。

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