2024年2月4日聖日礼拝

動画(35分40秒)

聖書 ヨハネの福音書19章1節〜16節
説教 「苦しみを受けるイエスを信ず」
説教者 高橋博師


今月の聖句

創世記12章3節

わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。


今週の聖句

ヨハネの手紙第一3章16節

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。


創世記からの黙想 創世記5章

5章は「アダムの歴史の記録」と書き出されてアダムからノアまで10代の系図が書かれています。4章はアベルを殺したカインとその末裔たちが登場して、神に背を向ける子孫たちの生活が書かれています。4章25節でアダム・エバからセツが生まれています。このアダムの子セツは主の名を呼び始め礼拝を献げ始めています。アダム・エバの罪、カインの弟アベル殺害から、神様は人類に礼拝者としての再出発の機会を与えておられます。この時代の族長は大変な長寿時代でした。アダム930歳、セツ912歳、エノシュ905歳、ケナン910歳、マハラルエル895歳、ヤレデ962歳、エノク365歳、メトシェラ969歳、レメク777歳でノアに至っています。ノアの生涯は950年。ノアの時代に主は「人の齢は120年にしよう」と言われています。ノアの時代までの地球は温室効果の様に今とは想像の出来ない温暖で病原菌のいない良い環境と推測されています。これがアダムたちの長寿の要因でした。この温室効果の地球に環境の激変が訪れました。化石を残して滅亡した恐竜や冷凍保存をされた様なマンモスの死骸の発掘からこの環境の激変を推測することが出来ます。ノアの洪水以降、今日の様な、寒さ暑さ、夏と冬、昼と夜のサイクルの時代となって行きました。アダムからノアまでが10代、ノアからアブラハムまでが10代と書かれています。これは象徴的な表現で、アダムからアブラハムまでの系図には代表的な方々が記載されています。多くのスキップがあります。これは古代エジプトやバビロンの系図の書き方にも共通点があります。神と共に歩んだエノクの生涯は最短の365歳でした。地上の人生は短くともエノクは神と共に歩み、新約聖書のヘブル人への手紙にも「信仰によってエノクは死を見ることがないように移されました」と記載されています。最も長生きしたのはノアの祖父のメトシェラで969歳です。計算するとメトシェラの死んだ年に洪水が起こりノアの家族以外皆洪水で死んでいます。ノアの警告を無視して箱船に入らず洪水で死んだのかも知れません。アダム以下の族長の人生の最後に死んだ、死んだと繰り返されています。神に背き、神なき長寿は必ずしも幸せではありません。活ける屍の様な長寿は好ましいものではありません。今日も長寿社会になっています。エノクの様に神と共に歩み、神様の恵み、祝福の長寿を神を賛美して、神様御自身を喜ぶ日々を歩み、長寿社会の中で主の恵みの証しの人生を全うして行きましょう。シャローム。

2024年1月28日聖日礼拝

聖書 ピリピ人への手紙2章5節〜11節
説教 「この世界に来られたイエスを信ず」
説教者 高橋博師


今月の聖句

マタイの福音書16章18節

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


今週の聖句

ヘブル人への手紙4章14節〜15節

さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。


創世記からの黙想 創世記4章

創世記4章からの黙想。「神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。」(3章23~24節)神様に背き罪を犯したアダム、エバはエデンの園から追放されました。エデンの東にケルビムを置かれました。ケルビムは主の臨在の象徴です。主なる神様はアダム・エバを追放され、主御自身もアダム・エバと共に罪に堕落した世界に来てくださいました。アダム・エバはエデンの園を追放され、罪の世界での歩みが記されています。アダム・エバの家庭に二人の息子が与えられました。カインとアベルです。カインは大地を耕す者となり、大地の実りを主への献げものとして持ってきました。羊飼いのアベルは自分の羊の初子の中から肥えたもの(最上のもの)を持ってきました。神様はアベルとその献げものに目を留められ、カインとカインの献げものには目を留められませんでした。二人の献げる態度が違っています。アベルは羊の初子の中から最上のものを献げました。カインは礼拝・感謝という気持ちより義務的な感じで献げたと思われます。アダム・エバが罪を犯して裸であると気づいた時に、神様は皮の衣をお与えになりました。アダム・エバは少年時代のカイン、アベルに羊を屠って、皮の衣せ、皮の衣の意味を語っていたと推察されます。小羊が身代わりに死んで、その皮の衣を着るように、いつかの時、贖い主が来て血を流して救って下さる神様の計画をカインとアベルは聞いていました。皮の衣を着ているカインとアベルは献げものは小羊とわかっていながら、カインは都合上便利な地の作物を献げました。カインは献げものが受け入れられなかったので、怒り、不機嫌になり憤っています。アベルを嫉んで野に誘い出してそこでアベルを殺害しています。罪の支払う報酬は死である、とローマ6章23節に書かれています。アダム・エバは罪の報酬を兄弟殺人というかたちで受けて行かなければならない悲劇であります。罪の報酬は死であっても、神様は信じる者に賜物、プレゼントとして永遠のいのちを与えて下さいます。アーメン。