2024年6月2日聖日礼拝

動画(42分22秒)

聖書 マタイの福音書25章14節〜30節
説教 「委ねられた賜物の管理」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ローマ人への手紙12章1節

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。


今週の聖句

マタイの福音書25章40節

まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。


創世記からの黙想 創世記22章

21章でアブラハム百歳にして待望の世継ぎイサクが与えられています。イサクが生まれたことでサラのイシュマエルいじめの問題が発生しましたが、アブラハムはハガル・イシュマエルを送り出すことで解決しています。近隣の王アビメレクと井戸の所有権の争いが生じました。この件も契約を結んで平和的に解決しました。アブラハムはベエルシェバで永遠の神、主の名によって祈る、平安な日が与えられていました。アブラハムは歳を重ね、イサクは少年に成長しました。そんな平和な時に神様はアブラハムに最大の試練をお与えになりました。「イサクを全焼のいけにえとしてささげなさい。」愛する独り息子を父の手で殺していけにえにするという、過酷な命令です。100歳になって奇跡的に生まれた約束の世継ぎを殺してしまったら、神様の約束はどうなるのか。イサクを愛している妻サラがこのことを聞けば狂乱的になってしまうのではないか。こんな思いがアブラハムの心を駆け巡ったでしょう。「翌朝早く、アブラハムはロバに鞍をつけ、二人の若い者と息子イサクとを一緒に連れて行った。」(3節)深夜、幻の中で神様からの導きを受けた後、翌朝早く、サラにも話さず、すみやかに実行に移しました。二人の従者を山麓に残し「私と子供はあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻ってくる。」(5節)イサクを焼く薪をイサクの背に負わせてモリヤの山を登って行きました。礼拝とはローマ12章に書かれているように生きたささげ物としてささげる献身であります。イサクをささげることはアブラハムにとっては自分を神様にささげ委ね切ることでした。全焼のいけにえの羊はどこにいますか、とのイサクの問いに、お前だ、とは言えなかったアブラハムは「神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださる」と答えて山頂につきました。石を積み上げて祭壇を築き、その上に薪を乗せ、イサクをロープで縛って、祭壇の上に横たえ、剣を振り上げてイサクを屠ろうとしたとき、主の使いは天から彼を呼び、「アブラハム、アブラハム。あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることが良くわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」と語られ、そこに一頭の雄羊を備えられたのでアブラハムはそれをささげました。イサクはイエス様の予型です。ひとりごイエス様を惜しまないで十字架に送ってくださった天の父なる神様の悲しみと痛み、それらを超えて私たちを救おうとして下さった神様の愛を覚えて主にゆだねて信仰の歩みを続けましょう。シャローム。

2024年5月26日聖日礼拝

動画(39分49秒)

聖書 使徒の働き11章19節〜30節
説教 「一つの体(からだ)としての教会」
説教者 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師

The Church as One Body
Acts 11:19-30
Sean Tan

The next bilingual sermon will be on June 23rd.


今月の聖句

出エジプト記20章2節〜3節

わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。


今週の聖句

コリント人への手紙第一12章26節

一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。


創世記からの黙想 創世記21章

サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。」(2~3節)神様はアブラハムを祝福され、アブラハム百歳、サラ九十歳にして約束の子イサクが与えられた。サラは「神は私に笑いを下さいました。」と告白しています。イサクという名は「彼は笑う」という意味です。サラの最初の笑いは10年ほど前の不信仰の笑いでした。「高齢のわたしが子を産むなんてあり得ない」という笑いでした。二回目の笑いは年老いたサラがイサクを出産し、抱いたときの喜びの笑い。三度目の笑いは老いて楽しみを失ったサラに与えられた家庭の喜びの笑いでした。罪ある地上の生活には祝福にわざわいが伴います。同じ天幕で暮らしているイシュマエルはイサクをからかっています。サラはハガルやイシュマエルとの同居が我慢できません。イサク誕生の喜びも家庭内で愛し合う交わりが出来ず、いさかいが激しくなり、ハガル、イシュマエルは追い出されます。サラから捨てられたハガル、イシュマエルを神様は守り一つの部族に成長させてくださいました。今のアラブ人たちです。神様から祝福されているアブラハムは井戸を掘ると水脈にあたり水が湧き出ます。アブラハムを嫉んだアビメレクのしもべたちはアブラハムの井戸を奪い取るという事件が発生します。ここでもアブラハムへの祝福が妬み、略奪、抗議という問題に発展しています。アブラハムは平和裏に解決するため、アビメレクと契約を結ぶかたちで問題解決をしています。イシュマエルがイサクをからかう問題は追い出すと言う方法でした。しかし成長したアブラハムは、今回は、アビメレクと契約を結ぶ方法で問題解決をしました。アブラハムの信仰の成熟を感じさせられます。100歳を越えても成長するアブラハムはこの点でも私たちの模範です。「悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」ローマ人への手紙12章21節。22章では最愛のイサクを献げるとことにまで成長しています。何歳になっても成長する様に祈りましょう。シャローム。