動画(42分22秒)
聖書 マタイの福音書25章14節〜30節
説教 「委ねられた賜物の管理」
説教者 高橋 博師
今月の聖句
ローマ人への手紙12章1節
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
今週の聖句
マタイの福音書25章40節
まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。
創世記からの黙想 創世記22章
21章でアブラハム百歳にして待望の世継ぎイサクが与えられています。イサクが生まれたことでサラのイシュマエルいじめの問題が発生しましたが、アブラハムはハガル・イシュマエルを送り出すことで解決しています。近隣の王アビメレクと井戸の所有権の争いが生じました。この件も契約を結んで平和的に解決しました。アブラハムはベエルシェバで永遠の神、主の名によって祈る、平安な日が与えられていました。アブラハムは歳を重ね、イサクは少年に成長しました。そんな平和な時に神様はアブラハムに最大の試練をお与えになりました。「イサクを全焼のいけにえとしてささげなさい。」愛する独り息子を父の手で殺していけにえにするという、過酷な命令です。100歳になって奇跡的に生まれた約束の世継ぎを殺してしまったら、神様の約束はどうなるのか。イサクを愛している妻サラがこのことを聞けば狂乱的になってしまうのではないか。こんな思いがアブラハムの心を駆け巡ったでしょう。「翌朝早く、アブラハムはロバに鞍をつけ、二人の若い者と息子イサクとを一緒に連れて行った。」(3節)深夜、幻の中で神様からの導きを受けた後、翌朝早く、サラにも話さず、すみやかに実行に移しました。二人の従者を山麓に残し「私と子供はあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻ってくる。」(5節)イサクを焼く薪をイサクの背に負わせてモリヤの山を登って行きました。礼拝とはローマ12章に書かれているように生きたささげ物としてささげる献身であります。イサクをささげることはアブラハムにとっては自分を神様にささげ委ね切ることでした。全焼のいけにえの羊はどこにいますか、とのイサクの問いに、お前だ、とは言えなかったアブラハムは「神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださる」と答えて山頂につきました。石を積み上げて祭壇を築き、その上に薪を乗せ、イサクをロープで縛って、祭壇の上に横たえ、剣を振り上げてイサクを屠ろうとしたとき、主の使いは天から彼を呼び、「アブラハム、アブラハム。あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることが良くわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」と語られ、そこに一頭の雄羊を備えられたのでアブラハムはそれをささげました。イサクはイエス様の予型です。ひとりごイエス様を惜しまないで十字架に送ってくださった天の父なる神様の悲しみと痛み、それらを超えて私たちを救おうとして下さった神様の愛を覚えて主にゆだねて信仰の歩みを続けましょう。シャローム。