2025年3月16日聖日礼拝

動画(40分10秒)

聖書 ルカの福音書8章40節〜48節
説教 「イエスに触れる信仰」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ルカの福音書5章10節

イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。


今週の聖句

ローマ人への手紙8章11節

イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。


ルカの福音書からの黙想 ルカ6章中編

ルカ6章でイエス様は12使徒の任命を行っています。初期ガリラヤ伝道の中で多くの人々がイエス様に従い弟子となって行きました。その多くの弟子の中から12名を選んで十二使徒という名前を授け、身近におかれて訓練をされました。「イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。そして、夜が明けると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をお与えになった。」(12~13節)イエス様は祈って12使徒の選任をされました。夕方山に行かれ、徹夜で祈られ夜明けになって、多くの弟子の中から十二人を使徒として選任されました。イエス様は大切なことを行われる時、祈りの時を持たれました。私たちも人生の決断、重大な選択をする時、十分なる祈り、主との深い交わりの中で進むことが教えらます。第二に使徒の数は十二名でした。旧約時代には12部族が定められ、それぞれに神の民としての使命が与えられていました。メシヤであるイエスの到来、十字架ですべての罪が贖われ、聖霊が下って信じる者は誰でも差別無く神の子とされる時代が到来します。古い旧約の時代が終わり新しい恵みの時代が到来します。この時代に救いの恵みを伝えるために新しい十二部族である十二使徒が選任されました。この十二使徒選任の目的は「彼らをご自分のそばに置くため、また彼らを遣わして宣教をさせ、彼らに悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」(マルコ3章14~15節)十二使徒はイエス様のそばにいて、イエス様のなされたみわざ、イエス様の語られたみことばの目撃証言となるためであります。イエス様のそばにいて、イエス様の愛と赦し、力、語られることばを学んで、人格的にイエス様に似る者になるためであります。さらに宣教に使わされ、人々を罪の束縛から解放し悪霊から解放するためであります。ルカは「ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人たちの中から、だれか一人が、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」(使徒1章22節)と語っています。十二使徒の大きな使命はイエス様の十字架と復活の証人、証言であります。これらの任務を委託される使徒たちはイエス様の身近ですごし、使徒たちは自我がぶつかるときなどを経験しながら神のしもべとしての赦し、愛、受け入れを学んで霊的に成長して行きました。

2025年3月9日聖日礼拝

動画(49分32秒)

聖書 使徒の働き17章1節〜15節
説教 「主のみことばを受け入れる」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ルカの福音書5章10節

イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。


今週の聖句

マタイの福音書13章8節〜9節

また、別の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。耳のある者は聞きなさい。


ルカの福音書からの黙想 ルカ6章前編

「ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたときのことである。弟子たちは穂を摘んで、手でもみながら食べていた。」(1節)この行為を「なぜあなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」とパリサイ人はイエス様を批判しています。ここからイエス様は安息日の本当の意味を教えています。旧約聖書は旅人、孤児、主人を失ったやもめ、在留異国人に対して大変親切な福祉的な律法です。ルツ記に書かれているようにやもめや在留異国人は他人の畑で落ち穂を拾うことが許されています。旅人が空腹な時は道ばたの麦の穂を取って食べることが許されています。牛や家畜が井戸に落ちた時は安息日であっても助けなければならないことも教えられています。これらの教えをまとめてレビ記19章18節で「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と教えています。これらを背景にしてイエス様はパリサイ人に本当の安息を教えています。3~4節で、ダビデがサウル王から追われて逃避行の時の出来事を引用しています。ダビデとその部下の者たちはサウルから追われて荒野の旅を続けて空腹で疲労困憊になっていました。その時祭司アヒメレクは神殿に供えたおさがりの祭司用のパンをダビデに与えています。アヒメレクはダビデを助けた理由でサウル王に殺されています。アヒメレクはいのちを捨ててでもダビデを愛し助けました。ダビデはイスラエルの王となりイスラエルに安息、平和をもたらしました。イエス様は救い主として私たちに安息を与えてくださるお方であります。イエス様と交わり、教えを受け、みことばを聞く時、魂の安息をいただくことが出来ます。これが安息日の守り方であり、まことの礼拝です。本当の安息は罪の赦し、罪からの解放です。イエス様は真の安息を与えてくださる方です。ダビデにパンを与えたアヒメレクはサウルに殺されましたが、このアヒメレクの行為をイエス様は愛の行為と語っています。マタイ、マルコ、ルカはこの出来事を書き記しています。小さなものに水一杯でも与えるものは決して報いからもれることはないとイエス様は約束してくださいました。イエス様は安息日の主として来てくださいました。飢えた者に霊の糧を与える主、渇いた者に永遠への水を与えるお方です。日々のデボーション、日曜日の礼拝で、いのちのパンの恵みに与り、魂の安息を覚える恵みに与りましょう。