2025年11月2日聖日礼拝

動画(44分17秒)

聖書 ルカの福音書13章22節〜30節
説教 「狭き門より入れ」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ヨハネの黙示録3章20節

見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。


今週の聖句

ヨハネの黙示録3章8節

見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

2025年10月26日聖日礼拝

動画(44分04秒)

聖書 ルカの福音書13章1節〜9節
説教 「実を結ぶ秘訣」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。


今週の聖句

ガラテヤ人への手紙5章22節〜23節

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。


ルカ16章からの黙想1 不正の富

イエス様は弟子たちに一つの話しをされました。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という訴えが主人にあった。」主人はその管理人を呼んで「もうおまえに、管理を任せておくわけにはいかない。」と解雇通告をした。それで解雇される直前、主人からお金を借りている人を呼んで、油100バテの借りのある人には借り油50バテと書かせました。同様に小麦100コルの借用書を持っている人には小麦80コルと書き換えさせました。解雇した主人は解雇されたしもべの行動に怒ることが出来ませんでした。この時代イスラエルでは同胞にお金、物を貸すときに金利を取ることが禁じられていました。困っている人から金利をとる事は神の愛に背く事でありました。エジプトやローマ帝国などでは高利をとる事は普通であり、その習慣がユダヤにも入って来ました。この管理人は同胞から金利を取ることに心を痛め、無金利で貸して主人に損害を与えて解雇される事になりました。解雇直前、油や小麦を借りた人に主人には不利益な事になりますが、正しい証文を書いて負債者に渡して、神の前に潔癖な形になっています。これを見て主人はしもべを責めることが出来ませんでした。ここからイエス様は不正の富で自分のために友を作る事を勧めています。お金、富みに不正という修飾語がついています。不正に入手した富みもあります。法的に正しく持っている今の財産も百年、二百年、遡れば不正、悪徳性が免れません。武士貴族の子孫が引き継いだ資産は貧しい農夫からの重税かも知れません。今の時代の報酬も国によって違い、必ず死も平等ではありません。その様は資産、富を用いて、神の栄光のために用いる事をイエス様は勧めています。お金だけではなく一人一人に与えられた賜物も異なっています。この世の報酬、評価は必ずしも適切ではありません。不正な評価もあります。この罪の世界、堕落した世界においても神のことばを信じて、神に栄光を帰する歩みをする事を主イエス様は勧めています。シャローム。

2025年10月19日聖日礼拝

動画(1時間5分41秒)

聖書 詩篇19篇
説教 「神は天から魂に語りかける」
説教 ソー・スタンリー師
通訳 タン・ショーン師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。


今週の聖句

詩篇19篇14節

私の口のことばと私の心の思いとが御前に受け入れられますように。主よ わが岩わが贖い主よ。

2025年10月12日聖日礼拝

動画(52分45秒)

証:フェイティン姉

聖書 使徒の働き21章1節〜15節
説教 「主のみこころがなりますように」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。


今週の聖句

マタイの福音書6章10節

御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。


ルカの福音書15章 二人の息子を愛する父の物語

ルカ15章には失われたものの回復の三つのたとえで話しています。迷った小羊、なくなった銀貨、放蕩してすべてを失った弟息子の物語が語られています。イエス様はかつて4人の友に担がれて屋根からつり下ろされた男に、あなたの罪は赦されたと宣言され、男は癒やされ、立ち上がって床を担いで帰って行きました。それを見ていた取税人マタイは「わたしについて来なさい」と言うイエス様のおことばを聞いて、取税人の罪の床から立ち上がって、罪を振り払ってイエス様について行きました。イエス様はこの時「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」とパリサイ人、律法学者に語られました。このマタイの回心の時から少し後にイエス様は失われた三つのもの回復のたとえを語られています。肉体の医者であったルカはマタイからかパウロからか誰かからこの二つの物語を聞いて感動しています。ルカは15章で放蕩した息子を赦し、癒やす魂の医者なるイエス様の深い愛に感動して語っています。このルカ15章は三つの失われたものの物語でありますが、スペースの3分の2は帰って来た弟息子の話であります。放蕩した弟息子の悔い改め、救いの物語であります。その反逆した息子がまだ遠くにいたのに、見つけ出し、駆け寄って、赦して受け入れ、新しい着物を着せ、履き物を履かせ、手に指輪をはめ、最上の肉で祝宴をして、愛して赦す父親の無限の愛の物語であります。放蕩をしないで品行方正で父に仕えた兄はこの父の姿に怒り家に入って来ません。この15章は赦せない兄を愛し、切々と語る父なる神の愛の物語でもあります。パリサイ人、律法学者は罪人、取税人と一緒に食事をするイエス様を非難していました。父なる神様は帰ってきた放蕩息子を赦して、愛の祝宴に招いています。又家に入ろうともしない兄にも、優しく語っています。今日、私たちは礼拝という、霊の糧、みことばの糧の振る舞われる所に招かれている事を感謝しましょう。罪と放蕩で傷ついた息子が父の愛で癒やされて行きます。私たちもこの主の無条件の愛を受け、主の救いの道を歩みましょう。シャローム。