2023年7月2日聖日礼拝

動画(39分57秒)

聖書 創世記37章1節〜11節
説教 「ヨセフの見た夢」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ペテロの手紙第一2章25節

あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。


今週の聖句

へブル人への手紙1章1節~2節

神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。


今週の詩篇の黙想

詩篇129篇

  1. 今日は詩篇129篇を味わいましょう。詩篇126篇は種を蒔く喜び、127篇は、子どもたちは主の賜物、128篇は、あなたの妻は家の奥にいて豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ、と勤労、家庭生活の喜びが歌われていましたが、129篇は一転して苦難を歌う詩篇です。父祖たちの苦難を回顧する歌であります。「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。さあ、イスラエルは言え。彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。彼らは私に勝てなかった。」(1~2節)苦しみという言葉が繰り返されています。苦しめた「彼ら」とは、エジプトをさしています。400年の間、エジプトで奴隷の苦役がありました。出エジプトの途上でもモアブ、アモン、エモリなどの民族がイスラエルの民を苦しめました。カナンの地に入って来ても、カナン人、ペリシテ人によってイスラエルは苦しめられ、バビロン捕囚ではアッシリヤ、バビロンに苦しめられていました。

  2. その苦しみは、「耕す者は私の背に鋤をあて、長いあぜを作った。」と奴隷生活の苦役が表現されています。背中に鉄の鋤があてられて長いあぜが作られるという、肉体的苦難であります。「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。」という言葉が繰り返されています。民の若いころ、イスラエルの国が形成される若いころ、イスラエルは周辺諸国から苦しみを受け、その中で、「彼らは私に勝てなかった。」(2節)と告白し、主の勝利の証しがなされています。

  3. パウロは「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」と叫んでいます。イエス様は「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と励ましていてくださいます。詩篇119編71節では「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」と告白しています。「主は正しくあり、悪者の綱を断ち切られた。」(4節)苦しみの中にも主の御手があります。苦しみだけが目に留まるのではなく、練り鍛えてくださる主の愛の御手が見えるように祈りましょう。

2023年6月25日聖日礼拝

動画(32分25秒)

聖書 創世記35章1節〜8節
説教 「信仰の原点に帰る」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ホセア書6章6節

わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。


今週の聖句

へブル人への手紙12章2節

信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱め をものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。


今週の詩篇の黙想

詩篇128篇

  1. 今日の詩篇128篇は127篇とペアになっている家庭の祝福の詩篇です。「幸いなことよ。主を恐れ、主の道を歩むすべての人は。」(1節)主を恐れ、主の道を歩む人の幸いがこの詩篇の主題です。この主題は4節でも繰り返されています。「見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。」主を恐れる者が受ける祝福が具体的に証しされています。「あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。」(2節)勤労、この時代は農業、牧畜などの労働の祝福が約束されています。イエス様は若き日、大工として汗を流して労働をしておられました。ミレーの晩鐘の祈りの絵は勤労の祝福を描いています。127篇では「辛苦の糧」と呼んでいます。この都のぼりの歌は一週間の労働、収穫、感謝、礼拝を天国への旅路と重ねています。

  2. さらにこの詩篇は家族とともに旅する喜びが歌われています。127篇3節では「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。」と子供たちが家族に与えられる幸いが歌われ、128篇3節は「あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。」と主にある夫婦、家族の交わりの喜び、出産、育児は主の賜物と賛美しています。

  3. 「主がシオンからあなたを祝福されるように。」「あなたは、いのちの日の限り、エルサレムへのいつくしみを見よ。」「イスラエルの上に平和があるように。」と締めくくられています。勤労、家庭、出産、育児の幸いはシオン、エルサレム、イスラエルから来ると約束されています。主を礼拝することからすべての恵みが溢れ流れ出ることが約束されています。いのちの恵みの源、主を礼拝し、主と交わる生活を送りましょう。

2023年6月18日聖日礼拝

動画(41分36秒)

聖書 創世記34章1節〜31節
説教 「不従順の代価」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ホセア書6章6節

わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。


今週の聖句

ローマ人への手紙6章23節

罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キ リスト・イエスにある永遠のいのちです。


今週の詩篇の黙想

詩篇127篇

  1. 「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張はむなしい。」と詩篇127篇は歌い出されています。家を建てる、町を守ると言う大きな事業から、仕事のための早朝の起床も、夜なべの仕事も、労苦してパンを食べることも、主を土台とした営みでなければむなしいと歌っています。「主はその愛する者には、眠っている間にこのように備えてくださる」(2節)とむなしい人生から、主に目を上げて実りある人生へ、否定から肯定へ、消極的人生から積極的人生へ主による方向転換があります。

  2. 「見よ。子供たちは主の賜物、胎の実は報酬である」(3節)詩篇記者の目が子供、幼子に向いています。まさに国造り、町造り、家庭建設、教会形成も、人を育てることから、人つくりから始まります。主を中心とした家庭、信仰に基づいた結婚生活、出産育児の尊さが教えられています。神なき近代社会は家庭つくりの危機であります。女性の社会参加はすばらしいものであります。女性が企業で労働をすれば報酬があり、評価があり、感謝もされます。家庭で育児をしていても、報酬はなく、ねぎらいのことばもあまりありません。これでは出産、育児に励む意欲も減退して、出産よりキャリヤを求める女性が多くなります。育児をしていてもその疲れから育児放棄、ネグレクト、虐待もわからないではありません。創世記3章で罪の結果、エバに産みの苦しみが与えられたことが原因かも知れません。

  3. 「若いときの子どもたちは実に勇士の手にある矢のようだ。」(4節)主の恵みで救いの実現した今、信仰によって出産、育児の喜びを回復し、家族、教会の交わりから励ましをいただいて、育児がむなしい労苦ではなく、恵みの労苦となり、勇者の手にある矢のような子が育って町を守り、家を建て、教会を建てあげる青年に育つ夢と信仰を持つことは素晴らしい事です。クリスチャンホームが生まれ、家庭に、教会に多くの子どもが与えられ、子どもが育っていく教会となるように祈りましょう。教会学校に、子供伝道に多くの子どもが集まって、救われ、勇士となり、神様の手にある義の武器となって、矢となって主に仕えて行かれることを夢見ながら子供伝道のために祈っていきたいと思います。シャローム。

2023年6月11日聖日礼拝

動画(36分20秒)

聖書 使途の働き6章1節〜7節
説教 「主の心を示す」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ホセア書6章6節

わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。


今週の聖句

使途の働き6章4節

私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。


今週の詩篇の黙想

詩篇126篇

  1. 詩篇126篇は6節から構成されるコンパクトな詩篇です。岩淵亮さんはこの詩篇から「涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る」というワーシップソングを作詞作曲され全国で歌われていました。「主がシオンを復興してくださったとき私たちは夢を見ている者のようであった。」(1節)バビロンで奴隷とされていた民が、クロス王により奴隷から解放されてエルサレムに変える夢の様な旅の歌です。「主が私たちのために大いなることをなさったので私たちは喜んだ。」(3節)

  2. 「主よネゲブの流れのように私たちを元どおりにしてください。」(4節)詩篇記者は私たちを元どおりにしてくださいと祈っています。バビロンからエルサレムに帰ってきましたが、再建という大変な大きな仕事が待ち受けていました。荒れ果てたエルサレムの町で神殿の再建工事が始まりました。城壁の石を塵芥から掘り出し、磨き積み上げていく大きな仕事です。それだけではなく自分の生活の再建もして行かなければならない経済の問題とも戦わなければなりません。さらに周辺諸国の妨害、仕事から離脱する人、再建の信仰を失う人もいます。不満が指導者のエズラ、ネヘミヤに向かいます。こんな中で詩篇の記者は、エルサレムの再建、繁栄、喜びを取り戻してくださいと祈っています。

  3. 「涙とともに種をまく者は喜び叫びながら刈り取る。」(5節)種を蒔くのになぜ涙が伴うのでしょうか。カルビンは詩篇の講解説教で涙の意味を語っています。カルビンの時代もこの詩篇の時代も食料が十分な時代ではありませんでした。植える種を大切に保存しなければなりません。しかし食糧危機になれば、植える種も食べなければならない誘惑があります。食べたい種を涙ながらに我慢して土の中に農夫は種を蒔きました。家族の空腹に耐えながら、土の中に貴重な種を蒔いて行きます。土の中で腐るかもしれません。カラスにやられるかもしれません。しかし、種を蒔かずにその時、食べてしまったら収穫はありません。今食べたくても、涙ながら我慢して信仰をもって種を蒔くなら、束を抱えて帰ってくる喜びがあります。今、苦しくても、たねを蒔くことの勧めです。今日に於いて、時間、富、賜物の消費、浪費しないで、種まきと言う形で信仰の投資、霊的種まきをすることの勧めです。その投資は涙の出てくる身を切るような投資かもしれませんが、後に束となって抱えて喜び叫ぶことができます。時間をささげ、お金をささげ、持っている力をささげ、大きな喜びの束を抱える時を期待して信仰の種を蒔き続けましょう。シャローム。