10月3日聖日礼拝

動画(39分27秒)

聖書 創世記21章1節〜21節
説教 「顧みられる神」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなた方の力だからだ。


今週の聖句

ヘブル人への手紙11章11節

信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方 を真実な方と考えたからです。


今週の詩篇の黙想

詩篇39篇1節〜13節

  1. 詩篇39篇は全体に哀調の流れているダビデのもの悲しい詩篇です。段落に従って4つに区分に分けることができます。起承転結とリズムを持って信仰は進展しています。1~3節は起に当たります。悪しきものに取り囲まれ、揚げ足取りの攻撃に遭っています。いいわけ、弁解をするとさらに攻撃はひどくなり、沈黙を守れば心の中は火で燃え上がります。それで私は自分の舌で言ったと主に告白を次の段落でしています。

  2. 沈黙を破って語りかけたのは人にではなく主なる神様です。4節「主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。」ダビデは死の病の床からの叫びかもしれません。「ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。」と5節で歌っています。

  3. 7節からの段落は転に当たります。主に呼びかけることにより信仰や思いに転機が訪れます。7節で「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。」と病の床から主に祈っています。「あなたの鞭を取り去ってください」と祈っています。主の懲らしめは私たちを滅ぼすためでなく、私たちの内の罪を滅ぼすためです。

  4. 12節から結に入ります。「祈りを聞いてください。叫びに耳を傾けてください。涙に黙っていないでください。」祈りが叫びに、涙に発展しています。聞いてください、耳を傾けてください、黙っていないでください、と発展して、あなたとともにいる旅人、寄留の者と告白しています。病や問題を持った者とともに歩んでくださる主により頼っています。

9月26日聖日礼拝

動画(34分40秒)

聖書 創世記20章1節〜18節
説教 「いのちを得るため」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

ペテロの手紙第一2章2節

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。


今週の聖句

哀歌3章22節〜23節

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。


今週の詩篇の黙想

詩篇38篇1節〜22節

  1. 詩篇38篇は詩篇32篇や51篇と並ぶダビデの悔い改めの詩篇です。ダビデは詩篇38篇では罪の苦しみを「主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。あなたの矢が私の中に突き刺さり、あなたの手が私の上に激しく下って来ました。」と表現しています。ダビデは恥かしい、不名誉な罪を隠さないで告白しています。ヨハネの手紙第一1章9節で「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」と書かれています。罪を認めて告白して神様の前に真実に生きることはとても素晴らし恵みです。

  2. ダビデは詩篇38篇においては罪のもたらす苦しみ、悲惨さを告白しています。5節「私の傷は、悪臭を放ち、ただれました。それは私の愚かしさのためです。」肉体の病のたとえを使いながら、罪は心を病にして、心や言葉が腐敗し、周辺に悪臭を放ち、罪は人間関係も破壊して行きます。11節「私の愛する者や私の友も、私のえやみを避けて立ち、私の近親の者も遠く離れて立っています。」と罪の破壊の姿が書かれています。

  3. 15節「まことに主よ、あなたを私は待ち望んでいます。わが神、主よ。あなたが私に答えてくださいます。」(新改訳2017訳)ダビデは罪を犯して、苦しみのどん底の中から、目を主に向けて、赦してくださる主を信じて悔い改めの祈り、罪の告白をしています。

  4. ダビデは詩篇38篇の表題にこの詩篇を「記念のためのダビデの賛歌」と表現しています。人生で最も苦しかった時、愚かな罪を犯して最も惨めな時から救われた時を記念として歌っています。私たちは罪を犯して惨めになった時を忘れたい、忘却の彼方に放棄したい、地を深く掘って埋葬してなかったかのように思いたいです。ダビデは自分の罪を記念して、自分の弱さを肝に銘じて二度と同じ過ちを犯さない祈りをして、また大きな主の赦しを証ししています。罪を認め告白して赦されたことを感謝しましょう。