10月17日聖日礼拝

動画(40分51秒)

聖書 創世記22章1節〜14節
説教 「備え給う神」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなた方の力だからだ。


今週の聖句

ヨハネの手紙第一4章9節〜10節

神はそのひとり⼦を世に遣わし、その⽅によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに⽰されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御⼦を遣わされました。ここに愛があるのです。


今週の詩篇の黙想

詩篇41篇1節〜13節

  1. 詩篇41篇は詩篇第一巻の最後の詩篇で、「幸いなことよ」と歌い出されています。詩篇1篇は「幸いなことよ。」で始まり、主の教えを喜びとする者の幸いを歌っています。32篇は罪赦された者の幸いを歌っています。第一巻最後の41篇では「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は、と弱り痛み苦しんでいる隣人への配慮をする者の幸いを歌っています。

  2. 私たちは力の乏しい者です。弱っている人に心配しか出来ません。しかし私たちは心配、お祈りしか出来なくても、私たちが祈る時、主ご自身がその人を助け出され、見守り、生きながらえさせ、幸せ者とされます。主は病の床で彼を支えられます。体、心、人間関係などで弱っている方を覚えて祈りましょう。

  3. この弱っている人は息子アブシャロムのクーデターで都を追われたダビデのようです。国中の人々は年を取り力の衰えたダビデを見捨てて若い魅力あるアブシャロムになびき、没落のダビデに悪口を浴びせています。ダビデの世話になった人々も恩を忘れてかかとをあげて背いています。ダビデは「主よ、あわれんでください。私のたましいをいやしてください」と叫んでいます。

  4. この弱っている苦境のダビデに心を配り、その人々のとりなしの祈りの中でダビデ自身も癒やされ満たされ強められて「私をあわれんでください」と目を主に向けて祈っています。人から捨てられたり裏切られたりする中にあっても、主の愛に満たされて愛の仕返し、恩返しが出来ることを告白しています。主の恵みは変わることなくとこしえにまで続きます。アーメン。