マルティン・ルターは自身のドイツ語訳聖書の詩篇101編に「統治者たちの鏡」という題を付けているそうです。国を治める者たちの手本とすべき姿が歌われているという理解なのだと思います。
私たちはどこかの国の王や為政者ではないかもしれません。しかし、詩篇101編の詩人が決意する言葉は、イエスさまを信じて生きる現在の私たちが告白する言葉と重なります。
「私は 全き道に心を留めます」。「全き道」とは神さまが教えてくださる道です。それは、何の失敗も間違いもない、清廉潔白な人になることではないのだと思います。神さまに導かれて、神さまとともに歩む道です。
詩人が「全き道」に心を留めると言っているのは、自分が完全であることを宣言しているのではありません。むしろ、詩人は不完全であることを思い知らされているように思います。不完全であることをわきまえながら、「全き道」に心を留めることを決意しているのです。詩人が願っているのは、神さまとともに歩むことそのものです。神さまを愛し、神さまとともに歩むことを喜びとしているのです。
私たちは「全き道」からすぐに外れる者です。しかし、神さまはそんな私たちをいつも心に留めていてくださいます。「全き道」に心を留めるというのは、いつも神さまに支えられている恵みを喜びながら、神さまとともに歩むことなのです。
わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。(ルカの福音書22章32節より)