詩篇102編の詩人は冒頭から自分の苦しい立場を必死に訴えています。その詩人の言葉を見ていると、「私」という言葉が目立ちます。「私の祈り」、「私の苦しみ」などです。
しかし、その詩人の言葉は途中から大きく変わります。「私」の代わりに、「あなた」という言葉が目立ってくるのです。「あなたはとこしえに」、「あなたの呼び名は」、自分ばかりに注目していた詩人は、祈りの中で神さまを見つめることとなりました。そして、神さまを見つめる詩人の言葉は、単なる苦しみの訴えではなくなります。
祈りって、不思議なものです。祈ったからと言って、問題が解決されるとは限りません。祈っても自分の思いどおりにならないことはいくらでもあります。しかし、そうであるにもかかわらず、私たちは祈りの中で平安を経験することがあります。祈りの中で喜びを感じることがあります。それは、自分ばかりを向いていた私たちの目が、祈りを通して、神さまへと向けられているからなのだと思います。私たちは、祈りを通して、神さまのみわざを期待する者となるのです。祈りとは、自分ばかりを見つめている私たちの目が神さまへと向けられるために与えられた、神さまの恵みです。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6~7節)