主日礼拝説教:2026年9月20日(日)
聖書箇所:出エジプト記25章10~22節
説教題:あかしの箱
暗唱聖句
わたしはそこであなたと会見し、イスラエルの子らに向けてあなたに与える命令を、その『宥めの蓋』の上から、あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、ことごとくあなたに語る。
出エジプト記25章22節
説教音声
説教要旨
「宥めの蓋」の上から
神さまとイスラエルの民との間に契約が結ばれた後、神さまに呼ばれて山に登ったモーセは、「幕屋と幕屋のすべての備品」に関する神さまの長い説明を聞きます。最初は箱作りです。「さとしの板」を納める箱です。「さとしの板」とは十戒の書き記された二枚の石の板です。十戒は神さまとイスラエルの民との間に契約が結ばれたことを証しするしるしです。
十戒の書き記された「さとしの板」は特別な箱の中に納められました。現在ならば、重要な契約書を金庫に保管するようなものです。イスラエルの民との契約が破られるようなことがあってはならない、そんな神さまの熱い思いが感じられます。
その一方で、「さとしの板」が箱の中に納められることには、違和感も覚えます。なぜなら、「さとしの板」に書き記されている十戒は、形式的な契約の書類ではないからです。十戒は私たちが神さまとの豊かな交わりに生きるために与えられた道しるべです。人間的に考えるならば、十戒の書き記された「さとしの板」は、箱の中ではなく、誰もが見えるところに置かれて、いつでも心に留めることができるようにする方が、よいようにも思うのです。
しかし、神さまはそうなさいませんでした。神さまは「さとしの板」を箱の中に納めるように命じられたのです。なぜなら、神さまは私たちの弱さを知っておられるからです。神さまは、十戒を守り行うことのできない私たちの弱さを知っておられるからこそ、十戒の書き記された「さとしの板」を箱の中に納めて蓋をされたのです。それは、十戒によって明らかにされる私たちの罪が覆われるためです。
箱の蓋は「宥めの蓋」と呼ばれます。「宥めの蓋」は以前の新改訳3版では「贖いのふた」と訳されていました。「宥め」と「贖い」とでは、かなりニュアンスが異なるようにも思いますが、そこで執り行われることは同じです。犠牲となる動物の血が蓋の上に注がれるのです。それはイスラエルの民の罪が赦されるためでした。神さまの民とされても、あくまでも罪人の群れだったイスラエルの民は、罪が赦されることなしには、神さまの御前に立つことができなかったのです。罪人が神さまの御前に立つためには、罪が赦されなければならないからです。そして、そのためには、身代わりとなる動物の犠牲が必要だったのです。
「宥めの蓋」は私たちの主イエス・キリストを指し示しています。イエスさまこそが、私たちの罪がゆるされるために、尊い血潮を流してくださいました。神さまは、十戒によって明らかにされる私たちの罪を、主イエスさまのみわざによって、上から覆ってくださったのです。そして、その「宥めの蓋」の上から、罪の赦しがなされるところから、神さまは私たちに語りかけてくださるのです。
神さまは一生懸命に十戒を行った人に、「よくやった」と語りかけてくださるのではありません。自分の成し遂げた何かを誇る人に、報いの言葉をかけてくださるのではありません。
神さまは「宥めの蓋」の上から語りかけてくださいます。主イエス・キリストによって語りかけてくださいます。自分ではどうすることもできない、そんな自分の罪に気づかされた私たちに、神さまは語りかけてくださるのです。ただひたすらに、神さまのあわれみを必要とする罪人の私たちに語りかけてくださいます。「あなたの罪は赦されている、主イエス・キリストがあなたの罪を背負って十字架にかかったではないか」、神さまはそう語りかけてくださるのです。そして、私たちに求められているのは、イエスさまによる罪の赦しを信じることだけです。
さとしの板
救いはイエスさまによる、そうであるならば、「さとしの板」に書き記された十戒には何の意味もないように思えるかもしれません。イエスさまさえ信じていれば、それだけで十分であるようにも思います。しかし、そうではありません。なぜなら、罪の赦しをいただいた後の新しい歩みには、道しるべが必要だからです。そして、その道しるべとなるのが十戒です。十戒だけではなく、十戒を中心とした律法であり、さらには聖書全体です。
十戒や旧約聖書は厳しい律法の言葉、新約聖書は恵みの言葉、そのように思われることがあります。しかし、実際にはそれほど単純なものではありません。イエスさまの赦しを前提としなければ、新約聖書も厳しい律法の言葉になります。反対に、イエスさまを通して十戒を受け取るならば、十戒を中心とした律法もまた、恵みに満ちた言葉であることが分かります。大切なことは、旧約にしろ、新約にしろ、イエスさまを通して聖書の言葉を受け取ることです。
祈り
私たちの罪が赦されるために、イエスさまが尊い血潮を流してくださったことを覚えて感謝します。新しい一週間も、イエスさまによって罪を赦された恵みを覚えながら、神さまの言葉に導かれて歩むことができますように。主イエス・キリストの御名よって祈ります。アーメン。

