主日礼拝説教:2026年8月16日(日)
聖書箇所:出エジプト記24章1~11節
説教題:契約の血
暗唱聖句
これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
マタイの福音書26章28節
説教音声
説教要旨
主の言われたことはすべて行います
十戒の後、神さまは契約の書をモーセに語られます。契約の書は十戒の教えをより具体的にイスラエルの民の生活に当てはめたものです。十戒と同じように、イスラエルの民と契約を結ぶために、神さまが彼らに語られた言葉です。そして、その契約の書が語られた後、モーセは、アロンとナダブ、アビフ、七十人の長老たちとともに、神さまのもとに上ります。神さまと契約を結ぶイスラエルの民の代表団です。
ほかのイスラエルの民は山の麓に残らなければなりませんでした。しかし、その彼らにも、「主のすべてのことばと、すべての定め」、十戒と契約の書は語られなければなりませんでした。なぜなら、契約というのはその内容を理解して同意した上で結ばれるものだからです。神さまが願っておられるのも、イスラエルの民が納得した上で、彼らと契約を結ぶことでした。
さて、「主のすべてのことばと、すべての定め」を聞いたイスラエルの民は声を一つにして答えました。「主の言われたことはすべて行います」。ここまでイスラエルの民を導いてこられた神さまにとっては、本当に喜ばしい応答の言葉だったのではないかと思います。
神さまとイスラエルの民との契約はイスラエルの民が願ったことではありません。神さまの民になったら、大きなメリットがある、そう判断したイスラエルの民が神さまに契約を提案したのではありません。神さまが願われたことです。ご自分に何らかのメリットがあるからではありません。ただひたすらに、神さまがイスラエルの民を愛されたからです。
神さまは私たち一人ひとりのことも同じように愛していてくださいます。そして、礼拝に集う私たち一人ひとりと契約を結ぶ日が来ることを、いつも心待ちにしていてくださいます。
主があなたがたと結ばれる契約の血である
イスラエルの民が神さまとの契約に同意した後、いよいよ契約が結ばれます。モーセは「主のすべてのことば」を書き記すと、山の麓に祭壇を築き十二の柱を立てます。若者たちがいけにえを献げます。モーセは、血の半分を祭壇に振りかけ、残り半分の血を民に振りかけます。それは神さまがイスラエルの民と結ばれる契約の血でした。
さて、イスラエルの民は「主の言われたことはすべて行います」と誓っていました。それは決していいかげんな誓いではなかったはずです。しかし、そうであるにもかかわらず、契約を結んだ後、イスラエルの民はすぐに誓いを破ることになりました。契約違反です。結ばれた契約は取り消されてもおかしくありません。しかし、驚くべきことに、神さまはイスラエルの民との契約を無効にはされませんでした。契約に背いたイスラエルの民を、なおもご自分の民として導き続けられたのです。
「主の言われたことはすべて行います」、イスラエルの民はそう誓って神さまと契約を結びました。しかし、その契約を支えたのはイスラエルの民の固い誓いではありませんでした。そうではなくて、罪の赦しによってでした。罪の赦しを与えてくださった神さまの一方的な恵みです。
神さまがイスラエルの民と結ばれた契約は、単なる紙の上の約束事ではありませんでした。犠牲をともなった契約でした。血によって署名された契約です。そして、契約が結ばれるために、動物の血が流されなければならなかったのは、罪が贖われなければならなかったからです。罪人であるイスラエルの民が神さまの民となるためには、罪が贖われなければならなかったのです。いけにえの動物はそのイスラエルの民の罪が贖われるための身代わりでした。そして、神さまとイスラエルの民との契約が支えられたのは、イスラエルの民が契約の血によって罪の赦しに与ったからです。
神さまとイスラエルの民の間で結ばれた契約は、主イエス・キリストによる新しい契約を指し示しています。私たちが罪を赦されて神さまの民とされるために、神さまは、動物の血ではなくて、かけがえのない御子イエスさまの血潮を流してくださいました。神さまは、御子イエスさまのいのちを犠牲にしてまでも、私たちの救いを願われたからです。そして、神さまと私たちの契約を支えるのは、主イエス・キリストです。主イエス・キリストの血潮によって結ばれた契約は、決して無効にされることがないからです。私たちは、どんな時にも、イエス様によって、罪を赦された恵みを確信して、神さまの民として生きることができるのです。
私たちはどこまでいっても罪人です。しかし、イエスさまを与えてくださった神さまは、決して諦めることなく私たちを導いてくださいます。
祈り
罪人の私たちが神さまの民とされるために、イエスさまが尊い血潮を流してくださった恵みを覚えて感謝します。どこまでいっても罪人の私たちですが、決して無効にされることのない罪の赦しの恵みを覚えながら、神さまの民として、神さまのみこころに生きる私たちとしてください。主イエス・キリストの御名よって祈ります。アーメン。

