説教音声・要旨 2026年4月12日(日)

  • 主日礼拝説教:2026年4月12日(日)
  • 聖書箇所:ヨハネの福音書 21章15〜17節
  • 説教題:あなたはわたしを愛していますか

暗唱聖句

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」

ヨハネの福音書21章15節

説教音声





説教要旨

「あなたは、わたしを愛していますか」——復活のイエス様はペテロにそう問われます。この問いを、今朝は私たち自身への問いかけとして聞きたいのです。そして、この問いに応えながら、イエス様の羊を飼う者とされていきたいと思います。

1 「私を愛しているか」——問いかけの逆転

私たちはつい、イエス様に向かって「あなたは私を愛していますか」と逆に問いかけてしまいます。しかしイエス様のお答えは明確です。手の傷跡と脇腹の傷跡を見せてくださって、「ほら、これが何よりの証拠だ!」と。

それでもなお「この問題を解決してほしい」と要求するなら、それは「愛の関係」ではなく「支配の関係」を生きていることになります。私たちは、神に愛され、神が共におられることを知っているから、勇気を得てどんな問題にも向き合うことができるのです。

2 問いかけられている存在として生きる

精神科医ヴィクトール・フランクルは、ナチスの収容所という絶望の中から生き延びた人物です。「生きていくことにもう何も期待が持てない」という囚人の言葉に対し、彼はこう語りました。

「私たちが〈生きる意味があるか〉と問うのは、はじめから誤っている。人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているのだから。」

フランクルはこう言いますが、聖書はさらに明確に、その問いの主体が神であることを示しています。私は生まれることを希望して生まれたのではありません。神によって命を与えられ、意味を与えられて生まれてきた。だからすべての人は、自己実現のためではなく、神から問われている存在として、神に応答しながら生きていくのです。

神はアダムに「あなたはどこにいるのか」と問われ、ペテロにも「あなたは私を誰だと言うか」と問われました。そして今また、「あなたはわたしを愛しているか」と問われます。

3 ペテロへの三度の問い——傷の癒しと使命の回復

イエス様は、ペテロがガリラヤ湖畔——漁師の生活にもどっていたその場所——で問われます。愛する家族、使い慣れた網や船、かつて愛したものが溢れるその場所で、「岩(ペテロ)」ではなく、もともとの名「ヨハネの子シモン」と呼ばれました。「そこから、もう一度立ち上がれ!」という願いを込めてのことではないでしょうか。

「この人たちが愛する以上に」という言葉は、「これらのもの(網、船、漁師の生活)以上に」とも訳せます。他の弟子と競わせるのではなく、「以前の生活よりも、わたしを愛するか」という問いとして読めるのです。

さらにイエス様は、三度問われます。これはペテロがかつてイエス様を三度「知らない」と否認した記憶に重なります(ヨハネ18章)。イエス様は傷口に塩を塗られたのではありません。三度の愛の告白を引き出すことによってペテロの否認を上書きし、傷を癒し、新たな使命を与えようとされたのです。

そして——「私を愛しているか」と問われることは、イエス様が私たちから「愛されたい」と願っておられるということです。神はただ愛を注ぐだけでなく、愛されることを望んでおられる。それほどまでに私たちを愛しておられるのです。しかもイエス様は強制されません。ただ静かに、「私を愛するか」と問われます。

4 「イエス様の羊」を飼うとはどういうことか

イエス様を愛することは、「イエス様の羊を飼う」ことへと結びつきます。「私の羊」ではなく「イエス様の羊」——そこが大切です。

「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。」(ヨハネ10:14)

私たちがどんなに優れた働きをしようと、またどれほど失敗しようと、羊を最後まで養い導いてくださるのはイエス様ご自身です。私たちはその全幅の信頼の中で、羊のそばに立つことができます。

ヘンリー・ナウエンはこう言います。羊を飼うとは「専門家として一方的に世話をすること」ではなく——

「相手を知ると同時に自分も知られ、世話をすると同時に世話をされ、赦すと同時に赦され、愛すると同時に愛される——傷つきやすい兄弟姉妹として共にいること。」

これは牧師だけが一方的に行うことではありません。牧師と教会の皆さんが互いに世話をし、世話をされる、双方向の共同体の業です。復活のイエス様も傷を持っておられる。あなたも私も傷を持っている。だからこそ、傷を抱えたまま、共にいることができるのです。

今朝、十字架の傷跡を見せながら「これがあなたを愛している証拠だ」とやさしく語りかけてくださる復活の主が、私たちの前に立っておられます。もうイエス様に「私を愛していますか?」とは問いません。互いにも問いません。その愛を胸の奥に抱きしめて、傷つきやすい兄弟姉妹として共にいることを喜ぶ共同体として、ともに歩んでまいりましょう。


2026年4月12日礼拝説教要約(東近江キリスト福音教会)-01


2026年4月12日礼拝説教要約(東近江キリスト福音教会)-02


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