古くサビついた釘を抜こうとする時、(ネジ釘なら余計に…)そのまま抜こうとしても中々抜けない。まず逆に叩き込んで、くっついている部分が離れてから抜くと抜きやすい。
古い習慣の中に「浸り込んで」いる人が、そこから抜け出すのはなかなか困難である。そのような人の為に祈り始めると、益々深入りして行くように見える時がある。しかし、それによって行き詰まり、挫折感を味わい、時には病気になって初めて目が開かれ、キリストによって開放されることが時々ある。
神は却ってその中に深く叩き込んで、そのショックによって執着心を取り除き、その後、一息にそこから抜き取ろうとされるようである。放蕩息子の改心も、その一つの例ではないかと思う。【ルカ 十五章十一節~二十四節】【第一ペテロ 四章三節】
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