説教音声・要旨 2026年4月26日(日)

  • 日時:2026年04月26日(日)
  • 聖書箇所:第一コリント10章19~22節
  • 説教題:主のいのちに生かされる

暗唱聖句

今日あなたは、上は天、下は地において主だけが神であり、ほかに神はいないことを知り、心にとどめなさい。
申命記4章39節

説教音声

説教要旨

偶像に献げた肉にも偶像そのものにも意味はない

パウロはすでに「世の偶像の神は実際には存在しない」(8章4節)、「食べなくても損にならないし、食べても得にはならない」(8章8節)と語りました。ここであらためて「偶像に献げた肉に何か意味があるとか、偶像に何か意味があるとか、言おうとしているのでしょうか」と問い、偶像に献げた肉にも、偶像そのものにも意味はまったくない、ことを再確認します。「唯一の神以外には神は存在しない」(8章4節)のです。

意味のない偶像をあたかも意味のあるものとして献げたリ扱ったりすることは、悪霊と交わることである

では、偶像には意味がないのだから偶像礼拝をしたところで問題はない、とパウロはいうのでしょうか。

偶像とは、私たち罪びとである人間が、その願望のままに生み出したものです。いわば私の願望の写し鏡のようなものです。経済的に豊かになりたいとの願いが、その願いをかなえる神を生み出し、安全でありたいとの願いが安全の神を生む。健康でありたいとの願望が、さまざまな病を癒す神を生み出しています。偶像は、その願いのままに答えることが期待されています。もし答えられない神であるとなれば人間は簡単に捨てます。そうして次から次に偶像の神は生み出されます。人間の欲望の数だけ生まれるのです。

偶像とまことの神との違いはいったい何であるのか。偶像が私たちが求めるままに与える神々でるのに対して、まことの神は私たちをまことに祝福しようとする神です。であるからこそ、私たちの求めに応じないことがあります。罪びとである私たちが求めるものが、真実に私を祝福するものであるとは限らないからです。そしてそのことをよく知っておられるのがまことの神なのです。

偶像自体には何の意味もないのです。しかしその偶像を生み出した自分の中にある欲望のままに求め続けること、それこそが問題です。自らの欲望のままに礼拝行為を行っていることは「神にではなくて悪霊に献げられている」ことであり「悪霊と交わる者になって」いることなのだとパウロは語ります。

パウロは、悪霊と交わる者になってもらいたくない、と語りました。悪霊と交わる者になってはいけない、と語ってもよいように思います。しかしパウロはそうは語らず、自分の願いとして、そう語ります。偶像礼拝を求める心は私の心の問題なのですから、命令されて強制的に形だけを禁止したとしても、意味がありません。偶像礼拝の正体である自らの欲望は依然自らのうちに渦巻いているのですから。パウロの願いを受けとめて自発的に偶像礼拝を避けようとしなければ意味はないのです。

聖餐にあずかりながら、悪霊と交わること、すなわち偶像礼拝をすることはできない

ではどのように偶像礼拝を真実に避けて、悪霊と交わらないでいることができるのでしょうか。パウロは「主の杯を飲みながら、悪霊の杯を飲むことはできません。主の食卓にあずかりながら、悪霊の食卓にあずかることはできません」と語ります。人間という入れ物には、一つのものしか入れることができない。悪霊との交わりを避ける道は一つである。神さまに満たしていただければよい、と語るのです。キリストのいのちに満たされ続けているならば、そこに偶像礼拝に生きてしまうこと、すなわち悪霊と交わるすきはなくなるというのです。

主の食卓、すなわち聖餐において私たちがいただくぶどう汁はキリストの血、すなわちキリストのいのちです。自らのいのちを分け与えるキリストのお心はどんなでしょう。その痛みとその痛みに現された愛を覚えるならば、安易な気持ちではいただくことができません。ましてやご利益的な考えではあずかったことになりません。裂かれた「からだ」と流された「血」の「痛みと愛」を覚えながら、キリストのいのちに生かされていることを学びます。そうして、私たちは悪霊との交わり、すなわち自らの欲望のままに生きることから守られるのです。

主は私よりも強いお方である

パウロは「それとも、私たちは主のねたみを引き起こすつもりなのですか。私たちは主よりも強い者なのですか」と問います。偶像礼拝はまさに神さまのねたみを引き起こそうとする姿であり、自分が主よりも強いと思い込んでいることの現れだといいます。

キリストは私よりも強いお方です。私をすっかりご自分の御手の中に守りたいと誰よりもあつく願っていてくださいます。その御手の中にすっかりお委ねしてゆくならば、自らの欲望に引きずられる生き方から自由にされ、真実の幸いの中に生きる者とされるのです。

祈り

あなたの御手の中に自分のすべてを委ねます。自らの欲望や願望に引きずられることから自由にしてください。あなたのいのちに生かしてください。あなたのいのちに満たしてください。

説教20260426-01
説教20260426-02


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