詩篇76編の詩人は神さまが示してくださった「御名の偉大さ」を証しします。御名の偉大さは神さまの住まいがあるエルサレムで示されました。神さまは、「豪胆な者たち」、「勇士たち」の手から、イスラエルの民を救い出してくださったのです。
ただ、神さまの「御名の偉大さ」を証しする詩人は、単純に救いを喜んでいるのではありません。詩人は恐れを告白しています。「あなたは 実にあなたは恐ろしい方。/ お怒りになれば だれが御前に立てるでしょう」。
だれが神さまの御前に立てるのか、だれも立てません。それは救われた詩人とイスラエルの民にとっても同じです。詩人は、自分たちもまた、神さまの御前に立つことのできない罪人の群れであることを痛感させられているのです。しかし、そうであるにもかかわらず、自分たちは救われて神さまの「周りにいる者」とされている、その大いなる恵みを覚えながら、詩人は神さまを恐れているのです。
神さまの御名が偉大であるのは、神さまがとんでもない力を持っておられるからではありません。願い事を何でも聞いてくださるからでもありません。罪人の私たちを愛していてくださるからです。御子イエス・キリストのいのちを犠牲にするほどに、罪人の私たちを愛していてくださる、そこに神さまの御名の偉大さがあるのです。信仰生活とはその神さまの偉大な御名を偉大な御名として証ししていくことです。
私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。(コリント人への手紙第一1章23節)