詩篇27編は、「主は私の光 私の救い。だれを私は恐れよう。/ 主は私のいのちの砦。だれを私は怖がろう」という信仰告白の言葉から始まります。「だれを恐れよう」、「だれを怖がろう」という言葉の背景には、詩人を陥れようとする人々の存在があったようです。
詩人は必死に神さまの助けを求めています。ただ、詩人が求めているのは、単なる問題の解決ではありません。「一つのことを私は主に願った」、その一つの願いとは、「いのちの日の限り 主の家に住むこと」です。詩人が求めているのは、神さまとの交わりそのものです。詩人は神さまとともに生きることだけを願い求めたのです。
私たちは神さまの御前で自由に願い求めることができます。問題の解決を求めることも、様々な必要が満たされることを願うこともできます。それらはとても大切なことです。しかし、何よりも大切なことは、神さまとともに生きることそのものであると教えられます。信仰生活とは神さまとの交わりに生きることそのものです。
実際には、私たちが願う以上に、神さまこそが私たちとともに生きることを願っていてくださいます。私たちとともに生きることが、神さまの利益になるからではありません。神さまは、私たちを愛するからこそ、私たちとともに生きることを願っていてくださるのです。
神さまこそが私たちを慕い求めていてくださいます。神さまの愛を受け取りながら、私たちも神さまを慕い求めたいと思います。
主はただあなたの父祖たちを慕って、彼らを愛された。(申命記10章15節)