聖書愛読より 「神の力」 ヨハネ13・31~35(週報2023年6月4日号)

牧会ずいそう 週報2023年6月4日号
2023年05月31日(水)

聖書愛読より 「神の力」 ヨハネ13・31~35

わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。(ヨハネ13・34、35)

 十字架にかかられる前夜。最後の晩餐。その食卓の席にてイエスさまは「新しい戒め」を弟子たちに与えて下さいました。互いに愛し合うこと。それが新しい戒めである、と。
 戒め、というと、十戒を思い起こします。エジプトで奴隷であったイスラエルの民が、新しい地に向かって出発したとき、神さまは、戒め、を与えて下さいました(出エジプト20章)。神さまを愛し、隣人を愛するようにとの10の言葉でした。しかし愛するようにと与えられた戒めは、いつの間にか互いに裁く道具となってしまいました。
 イエスさまはあらためて互いに愛し合うことを新しい戒めとして語ってくださいました。それは新しい言葉というよりも、すでに語られてきた戒めの言葉を、新しく語ってくださった、ということでしょう。何が新しいのか。「わたしがあなたがたを愛したように」愛しなさい、ということですから、ここに愛することの「お手本」がある、愛することのお手本であるイエスさまがともにいてくださるということです。
 イエスさまが私たちを愛してくださった愛。それは十字架で自らの命を捧げる愛でした。その愛で互いに愛し合うこと。そうでなければ新しく語られた戒めも、また古くなってしまう。互いを裁く道具になってしまう、ということでしょう。
 互いの間に、イエスさまが愛された愛がある、こと。それはイエスさまご自身が互いの間にいてくださる、ということでしょう。愛するということは、互いの間にイエスさまがいてくださることを見失わない、ということです。


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