- 主日礼拝説教:2023年1月1日(日)
- 聖書箇所:マタイの福音書5章9節
- 説教題:平和をつくる者
●説教音声
●みことば
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
マタイの福音書5章9節
●みことばの一滴
◎神さまのとの平和をいただく
私たち罪人である者は、平和をつくるよりも、戦争を起こすことの方が得意なのかもしれません。戦争のニュースは今も絶えません。社会には様々な戦いがあります。私たちの小さな世界ではどうでしょう。まったく戦いがないと言える人がどれだけいるでしょう。
誰もが平和を望んでいると思います。しかし平和どころか戦いが生まれてしまう。その原因はどこにあるのか。まず神さまとの間に平和が壊れてしまった、それがそもそも原因なのだと聖書は語ります(創世記3章)。その結果、人間の間に様々な戦いが生まれてしまうことになったのです。
「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。」(エペソ2・14~17
イエスさまが、この地上にご降誕くださったのは、戦いの世に平和を築くためでした。神さまは、壊れてしまった人間との間に再び平和を築くために、自らがまことに小さく弱いお姿で来てくださいました。私たちはこの御子イエスさまによって神さまとの間に平和をいただきました。神さまとの間に平和をいただいたことによって、自分自身との間にも平和をいただきました。自分自身との間に平和をいただく。それは、自分をそっくりそのまま受け入れるということです。弱さや足りなさを持った自分を受け入れ、自分と和解し、真実に自分を愛することです。
◎平和を実現する者となろう
神さまのとの間に平和をいただいた者、そして自分自身と和解した者は、この世に平和を築くために遣わされていきます。イエスさまは「平和をつくる者は幸いです」と言われました。争いのない世界に生きる者は幸いだ、そのように平和を受ける者が幸いだ、と言われたのではありません。争いのあるところに遣わされて行って、そこに平和を築いていく、平和を創造し実現していく者が幸いである、幸せであると言われたのです。
宣教に生きた使徒パウロ。すなわち平和の実現のために労したパウロは、自らの歩みを次のように語っています。
「彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、 日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。」(第二コリント11章23~28節)
パウロの歩みは、平和の歩みというよりもむしろ戦いの歩みのような感じがします。しかしまことに平和を実現する者の歩みが豊かに記されているのだと思います。神さまとの平和をいただいていたからこそ、どんなに厳しい戦いの中にあっても、そこに神さまが平和を実現してくださることを信じて、平和を築くために労したのだと思います。
私たちも、平和をつくる者の幸いに生かされて行きたいと思います。主イエスさまを信じたときから神の子とされたのですから、神の子と呼ばれる喜びに生かされて行きたいと思います。
●祈り
平和をつくる者として遣わしてください。