私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 聖書の読み方

    グイゴによれば聖書本文を読む過程では四つの段階が区別されなければならない。

    1、朗読(lectio)

    2、黙想(meditatio)

    3、祈り(oratio)

    4、観想(comtemplatio)

    マクグラス、『総説キリスト教』、107頁f

     「グイゴ」というのはカルトゥジオ修道会のグイゴ2世という方だそうです。12世紀ごろに生きた方ということです。

     聖書を読むといいましても読むだけでわかるのかというと、分かるということも出来るし分からないという言い方もできるのではないかと思います。しかしいわゆる知的に分かるか分からないかということではなく、聖書を読むことによって神さまに出会うということでは、読むだけで分かるということなのだと思います。

     まず知的に分かるかわからないかは横に置いておいて朗読をします。声に出して読むのです。そして静かに黙想します。いろいろな雑念が出てくるのではありますが、それでもとにかく心を静めてひたすら黙想します。そしてようやっと神さまに祈ります。神さまにお話をします。おはようございます、でもいいですし、今日もお守りください、でもいいでしょう。疲れました、でもいいし、どうしたらいいでしょう、でもよいのです。神さまにお話をします。

     四番目の観想が何だかわかったようなわからないような言葉ですが、「神さまを愛すること」ということだそうです。本当に聖書を読んだということは神さまを愛するということに置いて起こりうるということでしょう。神さまを愛することなくしていくら知的に「わかった」ということであってもそれは聖書を分かったことではないのです。逆に神さまを愛するということがあるならば聖書を分かるというところに立たせていただいているのです。