私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 神学の助けをかりて自己を正当化すること

    ひとたび神学の助けをかりて自己を正当化し始めた者は、サタンの指の中にある。もちろんよい神学者でありなさい! しかしそのような者として、あなたの知識を三歩遠ざけなさい。そうしないとそれはあなたにとって致命的となる。

    ボンヘッファー、『説教と牧会』、194ページ

     牧会伝道をするうえで神学は大切なものです。神学校に学んだとき指導をいただいた先生から「神学などいらないというのは強烈な神学である」と語られ、神学不要論の問題点と共に神学の大切さを教えて頂きました。怠惰な者ですが、今もできるだけ神学書を読もうとしています。

     しかしその神学が「致命的となる」とボンヘッファーは語りました。自己を正当化するために神学の助けをかりるということをし始めたときに致命的となるというのです。神学は神さまの愛を語るための道具のようなものでしょう。自己を正当化することは罪びとである自己を正当化するのですから、神さまの愛を語ることにはなりません。神さまを正当化するために神学を持ちちなければならないということでしょうか。その神さまご自身が自己を正当化するのではなく、罪びとの手に自らをお任せになり十字架にかかられたのです。究極の神学はこの十字架にあるのでしょう。