私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • ブライアン・フリーマントル、『シャングリラ病原体』

    グレゴリー・リャリンひとりが例外だった。彼はライサ・イワノワ・オルロフの所業によって、ワシントンでもモスクワでも政治的、個人的に笑いものになるであろうことをすでに受け入れていた。敬虔なクリスチャンとしての人生のなかでたった一度、彼は憎悪を感じることを自分に許し、にもかかわらずまったく恥をおぼえていない自分に当惑を感じた。

    ブライアン・フリーマントル、『シャングリラ病原体』、松本剛史訳、新潮社、2003年3月1日発行、(下)310ページ

    ロシア科学相グレゴリー・リャリンを敬虔なクリスチャンとして登場させています。敬虔なクリスチャンであるかれは人生にたった一度だけ憎悪を感じることを自分に許したということですが、敬虔なクリスチャンも人間ですから憎悪を感じるものです。しかしこの「にもかかわらずまったく恥をおぼえていない」という心、そしてそのような自分に当惑を感じたということ、なかなか複雑です。

    白黒はっきりしないのが人間です。だからこそ人間は魅力的なのでしょう。

     

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