カテゴリー: 新井奥邃

  • 「静黙は即ち生命にして、之を守り之に居るは、即ち吾人が勉強の在る処なり。守りて之を失はざれば之を己に得。居て之を離れざれば之に安んずるに至る。凡そ黙守して黙識するは静に居るの実地にして、其力を得るは日夜之に居て相離れざる処に在り。日夜之を思ふて深く内に入る処に在るなり。」

    「静黙は即ち生命にして、之を守り之に居るは、即ち吾人が勉強の在る処なり。守りて之を失はざれば之を己に得。居て之を離れざれば之に安んずるに至る。凡そ黙守して黙識するは静に居るの実地にして、其力を得るは日夜之に居て相離れざる処に在り。日夜之を思ふて深く内に入る処に在るなり。」

    新井奥邃、『聖言』、222

    「静黙は、これ自体いのちであるから、これを守りこれに居ることは、私たちの学びの目的とするところである。これを守り失わないでいるならば、これを自分自身に体得することができる。平素の生活においてこれからはなれないでいるならば、これによって平安を持つに到達する。おおよそ沈黙を守り、沈黙を知ることは、静かに居ることを行うことであり、その力を得ることは日夜これに居てはなれない所に存在する。日夜これを思索し、深く内面に入る所に存在するのである。」

     生きる力、平安は、静黙を日々実践するところに生れます。現代は、静黙の時間を取ることが難しいばかりか、そのような時間に意味を見出しにくい時代です。静黙が後回しにされ、忘れ去られてしまった生活は、無味乾燥な、そして何をも生み出さない生活です。
     わずかの時間でもよいので、静黙を生活に取り戻しましょう。

    〔聖書の個所〕
    あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
    (マタイ6章6節)