「黙を守るは静に居るの学なり。然り而して黙と静とは並に虚位ならざると共に、人為の儀則に非ざるなり。皆生命の生息にして即ち生息なる生命なり。」
新井奥邃、『聖言』、221
「沈黙を守ることは、静かに居ることを学ぶことである。そのようなわけで黙と静とは同列に並べて存在するものであり、どちらかが空席にはならない。それとともに、人間によって為される儀式のようなものではない。すべていのちの生活であり、また生活の中にあるいのちである。」
沈黙を守ること。話したくとも黙っていること。そうして静かな心、静かな存在として生きる道を学びます。沈黙と、静に居ること。実際には沈黙をしていないけれども、心だけは静かに居るなどということはありえません。この二つのことは一つなのです。
これは人間の考えた儀式によって生み出されることではありません。日々いのちに生きることにおいてのみ可能です。また生きているいのちにおいてのみ可能なのです。
日々の信仰生活が問われているのです。
〔聖書の個所〕
自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。
(箴言17章27節)
私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。
(詩篇62編1節)