カテゴリー: 新井奥邃

  • 「夫れ戦ひは気と心とを主とす。気は清かるべく、心は静かなるべし。二者亦相待つて行はる。心若し静かならざれば気得て清を得ず。而して気清からざれば心静かなる能はず。然れども之を清うし之を静かにする、豈塵埃の世を去るを要せんや。要は此に居て之に勝ち、之を通じて此を清静ならしむるに在り。静息の神戦なり。」

    「夫れ戦ひは気と心とを主とす。気は清かるべく、心は静かなるべし。二者亦相待つて行はる。心若し静かならざれば気得て清を得ず。而して気清からざれば心静かなる能はず。然れども之を清うし之を静かにする、豈塵埃の世を去るを要せんや。要は此に居て之に勝ち、之を通じて此を清静ならしむるに在り。静息の神戦なり。」

    新井奥邃、『聖言』、224

    「そもそも戦いというのは、気と心との戦いである。気を清くすることができ、心を静かにすることである。この二つのことはお互いに補い合って成り立つ。心がもし静かにならないならば、気を清く持つことが出来ない。それから気が清くならないならば、心が静かになることは不可能である。しかしこれを清くし、これを静かにするならば、どうして塵や埃に満ちたこの世を去る必要があるだろうか。大切なことは、今いるところに居ながら、気や心に勝ち、気や心を通して、今いるところを清く静かにさせることである。静かに憩うための神による戦いである。」

     人生にはいろいろな戦いがあります。信仰生活にもいろいろな戦いがあります。その最も重要でまた激しい戦いは、自分の気持ち、心との戦いです。この二つのことは、精神と心と考えてもよいのかもしれません。精神を清くする、すなわち一つの思いになること。また静かな心になること。そうであるならば、さまざまな戦いの中にあるこの世においても、平安に生きることができるのです。逆に、どんなに平和な環境の中に置かれていても、心の中が平安でないならば、真の平和、平安に生きることができません。

    〔聖書の個所〕
    わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
    (ヨハネ14章27節)