「世人多くは生命の意を解せず。夫れ生命は一時の現象に非ず。一身一代の時間に非ず。永遠より永遠に亘る神的生息にして、之れ神に本源するものなり。人能く道に従つて本源に遡り、還息して其身に充実すれば、正に是れ新人なり。無我にして些少の固心なく、快楽以て神に事ふ。」
新井奥邃、『聖言』、225
「世の人の多くは生命の意味を理解しない。そもそも生命は一時の現象ではない。この身一代の時間ではない。永遠より永遠にわたる神的な生息であり、これは神にその源をもつものである。人はよくその道に従い、この源にさかのぼり、巡りまわってその身体に充満し実を結ぶならば、まさにこれこそ新人である。我をなくし少しのかたくなな心も無く、喜びをもって神に仕えるよう。」
永遠のいのちとは、死後のいのちのこととともに、今生きているこのいのちが尽きることのないものになった、ということです。神さまにお出会いし、神さまの力によって、神さまの恵みに生きてゆくこと。我欲を捨てること。その身体に神さまの恵みを充満させること。こうして私たちは、真の幸福に生きることができます。
〔聖書の個所〕
それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。
(ローマ5章21節)