「神は親近なり。故に我等人と親近なる処必ず神在ます。神は深愛なり。故に能く人を深愛する処に必ず神在ます。神は清浄なり。故に凡そ清浄なる処必ず神来る。神は慈悲の慈悲なり。故に慈悲を有する者は往くとして神と偕にせざるはなし。」
新井奥邃、『聖言』、226
「神はそば近くともにいてくださる。ゆえに私たちが隣人にそば近くともにいるならば、そこに必ず神も存在している。神は深い愛である。ゆえに隣人を深く愛するところに、必ず神もともにいてくださる。神は清くけがれがない。ゆえにおおよそ清くけがれのないところに、必ず神は来てくださる。神は慈悲深いお方である。ゆえに慈悲深くある者は、どこに行こうとも神さまがともなってくださり行動してくださる。」
神さまは目に見えないお方ですが、私たちが神さまのご性質に生きる時、そこに神さまはともにいてくださいます。
神さまのご性質と違った生き方をしているならば、神さまはともにいてくださいません。もちろん聖書には、どんなところにも神さまはともにいてくださる、と約束の言葉が書かれていますので、神さまの在り方としては、どんなところにも神さまはともにいてくださるのです。しかし神さまのみ心に生きようとしないならば、せっかくともにいてくださる神さまの恵みに生きることが出来ないでしょう。
親近、深愛、清浄、慈悲に生きるならば、そこに神さまはともにいてくださいます。
〔聖書の個所〕
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マタイ28章20節)
確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。
(使徒17章27~28節)
愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
(第1ヨハネ4章7~9節)
他人の罪にかかわりを持ってはいけません。自分を清く保ちなさい。
(第1テモテ5章22節)
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
(ルカ6章36節)