「神に於て一族となれば宏遠に達す。宏遠なれば深淵なり。深淵なれば高明なり。皆其充実なる内裏より発して、範囲の極に活転す。故に富にしては富まざるなく、備にしては備はざるなく、楽にしては楽しからざるなきなり。」
新井奥邃、『聖言』、168
「神につながり家族となるならば広遠に達する。広遠すなわち広く遠大ならば深淵である。深淵すなわち深い淵であるならば高明すなわち高くて明らかである。みなその充実した内面から始まり、すべての極限にまで活動する。よって、富においては富まないことはいない、備えにおいては備わらないことはない、楽においては楽しくないことはないのである。」
神さまが共にいてくださること。神さまと共にいること。神さまとつながり、神さまに生かされていること。それさえあれば、まことの富も備えも幸福も手にしているのです。その内面から豊かさがあふれ出て、人生のすべてにおいて満たされるのです。さらには共に生きる人びとにその豊かさが行き渡っていくのです。
〔聖書の個所〕
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
(ヨハネ7章37~38節)