カテゴリー: 新井奥邃

  • 「愛の真なる者は必ず畏敬の深き所に存す。畏敬なければ真愛なし。」

    「愛の真なる者は必ず畏敬の深き所に存す。畏敬なければ真愛なし。」

    新井奥邃、『聖言』、11

    「真実の愛を持っている者は、かならず何者かに対する畏敬の念を持っている。畏敬の念を持っていない者には真実の愛はない。」

    神さまへのおそれを知らない者には、隣人への愛はありません。たとえ愛があるかに見えてもそれは真実の愛ではありません。さまざまな愛の活動も、まるで自分が神になったかのように振る舞っているような活動であれば、それは真実の愛ではありません。
    畏れるべきお方を畏れないとき、人間は恐れなくてもよいものをいたずらに恐れてしまいます。
    真実の愛には、必ず神さまに対するおそれがあります。それは恐怖というものではありません。大いなるものへの感謝、自分は一個の限界ある人間であることの謙虚さ、委ねる心、を持っているということです。その中から生れてくる愛こそ、真実の愛です。
    この真実の愛に生きる時、恐れなくても良いものへのいたずらな恐れから解放されます。

    〔聖書の個所〕

    主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
    (箴言1章7節)

    また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。
    (第1ペテロ1章17節)

    愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
    (第1ヨハネ4章18節)