カテゴリー: 新井奥邃

  • 「夫れ信の堅なるパウロの如き者鮮なし。彼は自ら以て基督の捕虜とせり。此れ主上栄光の尊体を確認して、献我之に勤動する者の言なり。其捕虜となりて、主に事ふる彼の如くにして、而る後能く此の世に勝つを得べきなり。」

    「夫れ信の堅なるパウロの如き者鮮なし。彼は自ら以て基督の捕虜とせり。此れ主上栄光の尊体を確認して、献我之に勤動する者の言なり。其捕虜となりて、主に事ふる彼の如くにして、而る後能く此の世に勝つを得べきなり。」

    新井奥邃、『聖言』、82

    「信仰のしっかりしているパウロのような者はまれである。彼はみずからをキリストの捕虜とした。これ(パウロの書いた言葉)は天に挙げられた主の尊いお身体をはっきりと確かめ、自分自身をささげて主に心から仕えている者の言葉である。その捕虜となって、主に仕える彼のようになって、そうしてのちこの世に対して勝利を得ることができるのである。」

     この世は、たくさんの水をたたえた大きな河のようなもので、その河の中に流されないように向こう岸に渡ろうとするのが人生のようなものです。この世の流れに負けずに向こう岸に渡るのは、大変な労苦が必要となります。力を抜こうものならすぐに流されてしまいます。この世の流れに流されず勝利するためには、しっかりと大地に根を下ろした大樹に捕まるか、岸につながる橋のようなものにつながるかが必要となるでしょう。流れの中にいる者にとどきつつ、しっかりとその外側につながる存在。それは神であり人間であるイエス・キリストご自身です。パウロはそのキリストにしっかりと繋がり、そのキリストに自分自身を明け渡し、キリストに掴んでいただいた人です。パウロはこの世にあって圧倒的な勝利者です。そしてキリストにあるならば、すべての人はこの世にあって圧倒的な勝利者となるのです。

    〔聖書の個所〕

    あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
    (ローマ6章16~18節)

    しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
    (ローマ8章37節)

    彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
    (使徒9章4~5節)