カテゴリー: 新井奥邃

  • 「主を知るの道の道は他なし。十字架を我が心と身とに負ふて、主に従ふに在るなり。」

    「主を知るの道の道は他なし。十字架を我が心と身とに負ふて、主に従ふに在るなり。」

    新井奥邃、『聖言』、121

    「主を知る道はこの道に以外にはない。すなわち十字架を自分の心と身体によって背負い、主に従うところに存在する。」

     主を知るという目標に至るまでの道は、ひとつです。すなわち十字架を負う道です。それ以外にはありません。主を知ろうとしていても十字架を避けているならばいつまでたっても主を知ることができません。心において、また身体において、十字架を背負って行こうとするならば、その道は必ず主を知るという目標に到達します。
     十字架。それは苦しみであったり試練であったり、病気であったりチャレンジであったり、おおよそ重たい荷物のようなものです。誰しもできればそれを避けたいところです。しかしそのような十字架をむしろ担って行こうとするところに、神さまを知る道が開かれていきます。
     十字架は決して求める必要はありません。今既にそれぞれに与えらています。それを再発見して誠実に担って行くならば、みなキリストにお出会いする道に前進することができます。

    〔聖書の個所〕

    自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
    (マタイ10章38~39節)

    すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
    (マタイ11章28~30節)