カテゴリー: 新井奥邃

  • 「言者と聴者と共に尤も正しき態度を要す。是れ厳法の在る所にして、学者身を修むるの要なり。若し此に由りて学ばずば道に進む能はざるなり。」

    「言者と聴者と共に尤も正しき態度を要す。是れ厳法の在る所にして、学者身を修むるの要なり。若し此に由りて学ばずば道に進む能はざるなり。」

    新井奥邃、『聖言』、120

    「語る者と聴く者は共にもっとも正しい態度を必要とする。これは厳しい法の存在するところであって、学ぶ者はその身を習得するために必要である。もしこれによって学ぶことをしないならば道に進むことは出来ない。」

     語るということだけではなく、また聞くということだけでもない。両方共が大切なことなのです。正しく語るということ、そして正しく聞くということ、この両方がしっかりとなされていてはじめて学ぶということが可能となります。
     キリストの道に生きるということも、この語る者と聴く者との正しい態度によって生まれます。聖書の言葉が正しく語られるということ、そしてその言が正しく聞かれるということ、そこにキリストの道に生きるということが生まれます。

    〔聖書の個所〕

    そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。
    (ルカ8章10節)

    耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』
    (黙示録2章7節)