「神命の在る所は人得て測るべからざるも、神は宇宙万有生物の父母たり。積極無上、永遠の慈愛なり。豈一小子をだも棄てられんや。吾人は宜しく神意の在る所に安んずべきなり。」
新井奥邃、『聖言』、123
「神さまのいのちの在る所は、人には測りえることができないが、神さまは宇宙にあるすべてのものの父であり母である。この上なく積極的な永遠の慈愛である。どうして一小さな子どもであったとしても棄てられることがあろうか。我々はまさに神さまのみ心の在る所に平安をもっているべきである。」
神さまを知り、神さまのみ心を知るということは、人間には不可能です。しかし神さまはすべてのものの造り主であり、今もすべてを統べ治めておられるお方です。そして十字架と復活のおいて完全に現わされた慈愛そのものです。どんなに小さな存在をも捨て去ってしまわれることはありません。ですから、人間である私たちは、ただ神さまを信じて、神さまのみ心を追い求めつつ、つねに平安の中に生きるべきです。
生きているといろいろな心配が出てきますが、すべてのことを委ねて、平安の中に今日も生きていきましょう。
〔聖書の個所〕
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
(マタイ6章31~34節)
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
(マタイ10章28~31節)