カテゴリー: 新井奥邃

  • 「凡そ生命に属する言は一語に寓意を薀包す。故に一を執りて百を廃する勿れ。是れ吾が道の常に心傳心得を貴んで、文譯を好まざる所以なり。」

    「凡そ生命に属する言は一語に寓意を薀包す。故に一を執りて百を廃する勿れ。是れ吾が道の常に心傳心得を貴んで、文譯を好まざる所以なり。」

    新井奥邃、『聖言』、124

    「おおよそ命に関する言葉は、一つの言葉の中にさまざまな意味をゆたかに包み込んでいる。よって一つの意味を取り上げて、そのほかのものを捨ててしまうことのないようにしよう。これは私が常に心を伝え心を得ることを貴び、文章を翻訳して間接的に伝えたり得たりすることを好まない理由である。」

     生命に属する言葉とは、聖書の言葉を指しているように思いますが、もう少し広く人生の事、生き方のことなどと理解してもよいのかもしれません。
     一つの言葉の中にはさまざまな意味が含まれています。翻訳をして分かりやすくすることには意味がありますが、それによって意味が失われてしまうこともあります。分かりやすいということは決して悪いことではありませんが、意味を失ってしまうとすれば問題でしょう。
     食べ物に例えると、甘いか辛いか酸っぱいか、単純な味付けに分類することは食品を分かりやすくするためには意味があります。しかし実際に食してみると、甘いか辛いか酸っぱいかだけでは表現できない複雑な味を知ることもあります。それはやはり実際に食べてみないと分からないことです。
     聖書の言葉はもちろん、人の言葉の中にはさまざまな意味が含まれています。言葉の裏を読むなどということは良いことではありませんが、素直に理解するためにこそ、自分で読んで、自分で聞いて、思いめぐらすことが大切です。時間がかかってもそうすることは大切なことです。

    〔聖書の個所〕

    さて、弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエスに尋ねた。そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。
    (ルカ8章9~10節)

    これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。これは箴言と、比喩と、知恵のある者のことばと、そのなぞとを理解するためである。主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
    (箴言1章2~7節)