人間は、特に神について、神との関わりについて、何が正しいことであるか、知識も判断力も失っているのである。私たちが、自分が正しいと思う仕方で信仰生活ができる、祈りができる、礼拝ができる、と思い込んでいるところで罪は深まる。だが、私たちがまことに独善的になるのは、まさにこうした信仰に関わるところにおいてなのである。だから、そこでこそ、神の言葉に耳を傾けなければならない。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、357頁
2020年12月2日(水)
正しい、という言葉は曲者(くせもの)です。主であるイエスさまがお語りくださる言葉に耳を傾けなければ、私たちは決して本当の正しさに生きることができないのです。自分の判断力をいたずらに主張して、そこにこそ正しい道がひらかれると思っているところで、罪は深まります。神さまの言葉に耳を傾ける、そこに正しく平安な道がひらかれます。
「あなたたちは、我々が今日、ここでそうしているように、それぞれ自分が正しいと見なすことを決して行ってはならない。・・・あなたは、自分の好む場所で焼き尽くす献げ物をささげないように注意しなさい。」(申命記12・8-13)