礼拝をすることで生きている

礼拝をすることで生きている。神の家に住み、キリストのからだに生き、広いいのちの道を、いつも見ている。神にまみえる日を待ち望んでいる。それでよいのだ!

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、268頁

2020年9月9日(水)

人生において何が幸いであるのか。何を幸せとして生きるのか。どのような人生であっても最後に死が待っているならば、その死を「解決」することなくして、幸せに生きているとは言えないのではないか、と思います。死を経験した人は誰もいませんので、実証によっては解決することができません。死は、信仰によってのみ解決することができます。

聖書は、死を経験し解決してくださった方がおられると語ります。そのお方こそ主キリストです。キリストへの信頼によってのみ、人類は死を解決することができるのです。

この信仰に生きる者は、日々神さまの家に住み、日々神さまへの賛美に生きる者となり、勇気を出して広い道を見る者となります。

「いかに幸いなことでしょう あなたの家に住むことができるなら まして、あなたを賛美することができるなら。いかに幸いなことでしょう あなたによって勇気を出し 心に広い道を見ている人は。」(詩編84・5,6)