変えられるのを拒否するそのとき、あなたは生きることを止める

インド出身のカトリック司祭アントニー・デ・メロの言葉に、こういうのがある。「あなたが変わるのを止めるその日、あなたは生きることを止めている」。・・・変えられるのを拒否するそのとき、あなたは生きることを止める、と言ってもよいと思う。変えられること、変わることを拒否している人びとは、自分のいのちの流れをせき止めているだけではなくて、周囲の人びとのいのちへの歩みを阻害している。しかも、信仰とは不変のものであるという真理で自己を正当化する。

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ここでいう絶えざる変革によって保たれるいのちは、ただ生活刷新とか現代化というようなことではなく、常に新しい永遠の栄光を望みつつ生きる者たちの自由な自己変革なのである。だが、それはきわめて具体的、日常的なことでもあるのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、254頁

2020年8月27日(木)

キリスト教信仰に生きるということは、変わることのない真理との出会いです。変わることのない真理の前で、すべてのことは相対化されます。何よりも、自分自身が相対化されます。絶対視していた自分が相対化される、それが福音との出会いであり、イエスさまとの出会いです。信仰生活は、自分が日々相対化されていく歩みであるともいえるのだと思います。

もしイエスさまを信じることが、自分が絶対化される、自分の信仰体験や自分の確信、信念、そういったものが絶対化されることになっているならば、それこそ偶像礼拝です。そこには祝福がありません。また隣人を生かす愛に生きる道はありません。

「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。」(2コリント4・16)