非行社会、非行文化が非行に生きる人間を造っている。今、キリスト者はどこに立つのか。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、220頁
2020年7月25日(土)
非行という言葉は、行いに非(あら)ずとかくのですが、青少年にかぎって言うならば「法律や社会規範に反した行為」ということになります。しかし法律や社会規範に反した行為は、なにも青少年にかぎったことではなく、大人も、また社会自身も、そのような行為に陥っていることは、日々報道を見れば明らかです。ボタンの掛け違いのように、最初の一歩に間違いがあるので、修復しようとしても、非行の道に歩むことになるのが人間です。まず神さまに焦点を当てないと、非行は改まらないのです。
「少女が座を外して、母親に、『何を願いましょうか』と言うと、母親は、『洗礼者ヨハネの首を』と言った。」(マルコ6・24)