祭りの興奮が癒しえず、むしろあらわにしている、人間存在の根源にひそむ渇きを、そこに立つ主キリストが、よく知っていてくださることを思い起したい。それがキリストの悲しみであり、痛みであったのではないか。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、221頁
2020年7月26日(日)
罪びとであるということは、自らが渇いているということすら知らないということです。私たちの渇きを私たち以上によく知っていてくださるのは、主イエスさま、ただひとりです。
「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』」(ヨハネ7・37,38)