問題に満ちたコリントの教会の人びとに信仰の吟味を求めたパウロは、しかし、教会の混乱の原因としての不信仰をえぐり出そうとはしない。あなたがたは自分のことがわかっていない。だからあなたがたらしくないことをする。あなたがた自信を知ること、それは、自分たちのなかにおられるイエス・キリストを知ること! もしキリスト者として失格していないならば、と付け加える言葉に私たちは狼狽する。しかし、パウロは突然「わたしたちは失格者ではない」と言う。ここではパウロも共に言う。私たちは失格していない!
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、199頁
2020年7月4日(土)
自分のことは自分が一番よく知っていると思っていますが、ほんとうは私たちは自分のことをそんなに知らないのです。罪びととしてのその罪の深さも、イエスさまにお出会いしてはじめて知る者となるのです。そしてイエスさまが、うちにいてくださることを知ることによって、自分たちが信仰者として失敗者ではないことをも知るのです。ですからあらためて自分が信仰を持って生きているかどうかを反省したり吟味したりすることができるのです。
「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと願っています。」(2コリント13・5,6)