ここでこそキリストはまことの神であられた

だが、しかし、カルヴァンが言いたかったことは、ここでこそキリストはまことの神であられたということでもあったろう。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、191頁

2020年6月28日(日)

イエスさまが、十字架の上で極度の不安の中にいることができたのは、ほんの短い瞬間に、キリストの神性が隠されたからである、とカルヴァンは言うのですが、しかしどうじにまことの神さまであられたからこそ、極度の不安の中にいることもできたのだと、いいます。

「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」(マタイ27・46)