デマス病は、いつでも、どこでも私たちを襲う

迫害に耐えられなかったのか。伝道者としての自分の力の貧しさに失望したからであろう。パウロに叱責されたからであろうか。それもと、テサロニケに愛する女性でもいたのであろうか。そのような理由を一切語らず、パウロはただひとつだけ理由を挙げる。「この世を愛し、わたしを見捨てて・・・」。・・・一度はパウロと同じように主に仕えるために献身の誓いを立てたであろうに。デマス病は、いつでも、どこでも私たちを襲う。伝道者だけではない。牧師を捨て、教会を捨てることが起こる。何が私たちを、この病から守ってくれるのであろうか。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、188頁

2020年6月25日(木)

私たちが主イエスさまを見捨てても、主イエスさまは私たちを見捨てることがありません。私たちはこの決して見捨てることのない神さまの愛によって生かされています。だからいつでも悔い改めて神さまのもとに帰ってくることができるのです。

「デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行っているからです。」(2テモテ4・10)