日にあったひとりのひとを思い起してもらいたい

夜の祈りのときに、使徒信条を唱えてもらいたい。そこで語られている神の救いの歴史が、自分が生きる現実であることを思い起していただきたい。そして、その日にあったひとりのひとを思い起してもらいたい。神の歴史のひとこまひとこまを、そのひとと結びつけてみる。神がそのみ手を、このひとの上においてくださっていることを、はっきり知る。そのとき、あの主の祈りを祈らずにおれなくなるであろう。「わたしたちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」(マタイによる福音書第6章12節)。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、187頁

2020年6月24日(水)

自分が過去に出会った人、今出会っている人、これから出会う人と、キリスト教信仰を結びつけること。それはまた自分と結びつけることでもありますが、自己中心という形で自分に結びつけるのではなく、愛すべき隣人を結びつける、隣人に対しての自分の言動を結びつける、それが生きた信仰生活のためには、欠かすことのできない大切なことである、ということです。

「わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。」(マタイ6・12)