世界の応用から峻別されているもの

フランスの作家アンドレ・ジッドは、『狭き門』という小説を書いた。この主の言葉を真剣に生きようとした女性が主人公である。評論家吉田健一氏が、これについて書いている。・・・その宗教、キリスト教は「世界の応用から峻別されているもの」だと書いている。女主人公アリサが追求した信仰は、人生にとって何の役に立つかと問うような視点からは理解できない、と言うのである。至言である。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、153頁

2020年5月22日(金)

天国に通じる門は、狭いのです。

狭いので手に持っているもの、その手前に置いていかなければ入れません。自分を保護する厚手の衣服も脱がなければなりません。この世で得たものはすべて身から放して、ただの「自分」となってしか入ることができないのです。

狭い門と広い門。

狭い門は、困難な道、苦しみの道、苦行を覚悟する道のように想像します。しかし、それが苦行によって徳を積むということを想定しているならば、徳という手荷物や自分自身を守るものを身につけようとしていることになります。徳で太った身体を通すためには広い門が必要になるでしょう。

この世の評価で自分を測ることから自由になって、ただひたすら神さまを仰ぎ見て生きることができれば、どんなに狭い門であっても、そこを通ることができるのではないでしょうか。この門のサイズは、私のありのままの姿を通すサイズなのだと思います。

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」(マタイ7・13)